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【FGO】柳生但馬守宗矩の元ネタと史実解説

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FGO攻略班
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FGO(フェイトグランドオーダー)のサーヴァント「柳生但馬守宗矩/柳生宗矩」の元ネタである史実を解説。原典となる神話や歴史、史実と設定の相違点や登場済みのサーヴァントとの関係性を掲載しているので、FGO(FateGO)を考察する参考にどうぞ。

柳生但馬守宗矩

©TYPE-MOON / FGO PROJECT

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柳生但馬守宗矩の元ネタ

柳生但馬守宗矩のプロフィール

出典 史実
地域 日本
時代 16〜17世紀
誕生年 1571年

柳生但馬守宗矩の史実・伝承

柳生宗矩の出自

柳生宗矩は1571年に柳生宗厳(石舟斎)の五男として生まれる。父の宗厳は大和国柳生庄(奈良県)の領主にして、新陰流の印可状を伝えられた剣術家でもある。

兄に厳勝、宗章などがおり、父の下で兄達と兵法を学んだとされる。

徳川家康に仕える

1585年、豊臣秀吉が天下統一を果たすと大和の支配者が秀吉の弟・秀長に代わり、太閤検地によって柳生宗厳は本領を没収されてしまう。

柳生家は困窮するが、1594年に黒田長政の仲介によって宗厳は徳川家康に招かれる。そこで宗厳が無刀取りを披露すると、家康は入門の誓詞を提出し、宗厳は二百石で家康に仕えることになる。

この時、宗矩も父の推挙を受けて家康に仕えることになった。

柳生家の再興

秀吉の死後、徳川家康は石田三成との対立が深まっていた。1600年には家康が上杉景勝討伐に出陣しており、宗矩もそれに従軍した。

宗矩は他にも関ヶ原の本戦にて本陣で活躍し、これらの功績が讃えられて父の代で失った大和柳生庄2000石を取り戻した。

また、1601年に2代将軍・徳川秀忠の兵法(剣術)指南役にもなったことで1000石加増され、合わせて3000石の大身旗本になる。

兵法指南役から大名へ

1631年、柳生宗矩は3代将軍・徳川家光の兵法指南役になる。これにより、宗矩は従五位下に叙任され、但馬守に任官される。

さらに1632年に初代の幕府惣目付(大目付)へと就任。1636年には功績を挙げて石高1万石以上を所領し、大名になった。これにより宗矩は、大和国柳生藩を立藩している。

最終的に宗矩の所領は1万2500石に達した。一介の剣士から大名にまで出世したのは、剣豪に類する人物の中で日本の歴史上、柳生宗矩ただ一人とされている。

柳生に宗矩の最期

宗矩は1646年に病床に伏し、同年3月26日に亡くなった。享年76歳。

深い信頼を寄せていた徳川家光は、亡くなった宗矩に従四位下を贈位している。

柳生宗矩の人物像

剣士としての活躍

柳生宗矩は江戸時代初期の代表的な剣士であり、「術古今独歩」「刀術者之鳳(おおとり)」「剣術無双」などの賞賛を贈られた。

また、将軍家の兵法指南役だったことから、当時の武芸者の中では最高の地位だった。

柳生宗矩の人間関係

宗矩は兵法指南をしていた徳川家光から信頼されており、家光を支える「鼎の脚」の一人に数えられた。家光には剣術を通して禅や政治も説いており、人間的成長を促した教育者とも評される。

また、沢庵漬けの考案者とされる臨済宗の僧・沢庵宗彭と友人であった。宗矩は沢庵の教えによって「剣禅一如(剣禅一味、剣禅一致とも)」の境地を教わっており、その概念を剣術に取り込んだ。

兵法家伝書を執筆

柳生宗矩は「剣禅一如」など新しい兵法思想を確立し、後世の武道に大きな影響を与えた。その思想をまとめた「兵法家伝書」は、「五輪書」と共に近世武道書の二大巨峰とも言われている。

ちなみに「五輪書」は宮本武蔵の兵法書であり、宗矩と武蔵は全日本剣道連盟の剣道殿堂に別格顕彰として評されている。

宝具の元ネタ

剣術無双・剣禅一如

宝具名 剣術無双・剣禅一如
『けんじゅつむそう・けんぜんいちにょ』
ランク A 種別 対人奥義
レンジ 0〜10 最大捕捉 1人

宝具説明

不動の心を持ちながら、同時に、自由に在れ───沢庵和尚がかつて語った剣の極意は、ついに、柳生宗矩の中で完成を迎えた。剣は生死の狭間にて大活し、禅は静思黙考のうち大悟へ至る。

無念無想の域から放たれる剣禅一如の一刀は、ただ一撃にて、必殺を為す。

宝具名の由来

宝具名である「剣術無双」は、柳生宗矩が生前に剣の腕前を讃えられた際の言葉。「剣禅一如」は沢庵和尚から教わった「剣法」と「禅法」の境地である。

Fateシリーズでの設定

史実との相違点

宮本武蔵との関係

FGOでの柳生宗矩は別世界の宮本武蔵と遭遇し、剣を交えることになる。史実では宗矩と武蔵の逸話はあるが、同時代の史料の中に2人に面識があったことを示す記述は確認できていない。

史実での逸話の中には、武蔵が将軍家指南役として招かれそうになったところを宗矩が妨害したという話や、武蔵が宗矩の師匠であった話がある。

FGOでの小ネタ

イベントで「鼎の脚」の3人が揃う

イベント「徳川廻天迷宮 大奥」では徳川家光を支えた「鼎の脚(かなえのあし)」である春日局と松平信綱が登場。柳生宗矩を含めて3人で顔を合わせている。

松平信綱は島原の乱の鎮圧をした総大将でもある。イベントでは徳川家を裏切り、カルデアを攻撃したカーマに仕えている。

春日局は江戸城大奥の礎を築いた人物でもあり、家光の乳母でもあった。イベントではパールヴァティーの身体を借り、江戸城の異変を解決するため主人公に味方している。

関係の深いサーヴァント

キャラ名 柳生但馬守宗矩との関係
宮本武蔵
宮本武蔵
史実でもゲーム内でも因縁のある関係。

参考文献
・FGOマテリアルⅥ(TYPE-MOON BOOKS出版)
wikipedia

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