【FGO】芹沢鴨の元ネタと史実解説
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FGO(フェイトグランドオーダー)のサーヴァント「芹沢鴨」の元ネタである史実を解説。原典となる神話や歴史、史実と設定の相違点や登場済みのサーヴァントとの関係性を掲載しているので、FGO(FateGO)を考察する参考にどうぞ。
©TYPE-MOON / FGO PROJECT
ネタバレ注意! |
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FGOのイベントである「ぐだぐだ邪馬台国」のネタバレを含む記事になります。閲覧の際はご注意ください。 |
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実装予想・キャラ考察 | 元ネタ・史実 |
芹沢鴨の元ネタ
芹沢鴨のプロフィール
出典 | 史実 |
地域 | 日本 |
時代 | 19世紀 |
誕生年月日 | 不明 |
没年 | 1863年10月28日もしくは10月30日 |
芹沢鴨の史実・伝承
芹沢鴨の出自
芹沢の出自は不明な点が多く、はっきりしていない。前名は下村嗣次とされている。水戸藩上席郷士の芹沢家出身で1826年に生まれた三男の玄太という説や、日置流雪荷派弓術の名人である芹沢又衛門以幹の子という説もある。
下村嗣次の活動
芹沢と同一人物とされる下村嗣次は、1860年に尊王攘夷運動へ参加するため、玉造勢という組織に所属した。玉造勢は攘夷運動のために資金集めをしていたが、強引な手法で取り立てていたため、下村は1861年に投獄された。
しかし捕らえられていた水戸藩での執政が変わり、政治犯が釈放されることになって下村は1863年に出獄を許された。その後、下村嗣次は芹沢鴨として名を変えたとされている。
浪士組への参加
1863年、江戸で清河八郎が将軍の警護を目的に浪士を集めると、芹沢は新見錦や平山五郎らを連れて参加した。浪士組と呼ばれるこの集団には、近藤勇や土方歳三、沖田総司、山南敬助らも参加し、後の壬生浪士、新選組の前身になる。
しかし浪士組は京都まで到着すると朝廷の直属になり、江戸へ戻って攘夷を決行することになる。芹沢や近藤は江戸に戻ることに反対して京都に残留し、浪士組の参加者は分裂した。
壬生浪士・新選組の結成
元浪士組の芹沢と近藤は、それぞれが連れた同志を中心に連名で会津藩に嘆願書を提出。会津藩の預かりで壬生浪士と呼ばれる組織になった。
壬生浪士は主に芹沢派と近藤派があり、筆頭局長に芹沢、局長に近藤と芹沢派の新見が選ばれた。後に八月十八日の政変をきっかけに、壬生浪士は会津藩から新選組という隊名を与えられたとされている。
芹沢鴨の最期
芹沢は壬生浪士の時代から素行の悪さが目立っていた。酒癖が悪く恐喝、暴行などを起こし、遊女への断髪を強制させたこともあった。
ついに芹沢は朝廷から逮捕命令が出たことで、会津藩は芹沢の所置を命じたとされている。芹沢の暗殺は土方、沖田、藤堂平助らが処罰したとされているが、諸説ある。
暗殺日当日、芹沢は仲間と共に宴会を催しており、泥酔して眠っているところを襲われた。暗殺は長州藩士の仕業とされ、暗殺の2日後には芹沢の葬儀が盛大に執り行われたという。
Fateシリーズでの設定
FGOでの小ネタ
イベントでの活躍
イベント「ぐだぐだ邪馬台国」では黒幕として登場。邪馬台国と対立していた狗奴国の官・クコチヒコに取り込まれ戦うも、卑弥呼や土方たちによって破れた。
イベントでは専用のバトグラも用意されていたが、ボイスや宝具演出は未実装。今後サーヴァントとして実装されるかは不明だ。
関係の深いサーヴァント
キャラ名 | 芹沢鴨との関係 |
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土方歳三 |
新選組副長。史実でも仲が悪かったとされている。 |
沖田総司 |
新選組一番隊隊長。芹沢暗殺に関わったとされる。 |
斎藤一 |
新選組三番隊隊長。イベントでは山南と共に芹沢と行動する。 |
山南敬助 |
近藤派の新選組総長。イベントでは芹沢と共に行動する。 |
参考文献
・wikipedia