【FGO】近藤勇の元ネタと史実解説
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FGO(フェイトグランドオーダー)のサーヴァント「近藤勇」の元ネタである史実を解説。原典となる神話や歴史、史実と設定の相違点や登場済みのサーヴァントとの関係性を掲載しているので、FGO(FateGO)を考察する参考にどうぞ。
近藤勇の元ネタ・史実解説
| 出典 | 史実 |
| 地域 | 日本 |
| 時代 | 19世紀 |
| 生年月日 | 1834年12月4日 |
| 没年 | 1868年1月17日 |
新選組局長
近藤勇は、幕末の治安維持組織、新選組の局長である。同じ新選組の土方や沖田らと共に、幕府側の勢力として激動の幕末を駆け抜けた。
試衛館にて仲間たちと出会う
近藤勇は天然理心流剣術を学び、試衛館という道場に入門する。実力を見込まれた近藤は道場主である近藤周助の養子となり、やがて道場と天然理心流剣術の後継となる。
この試衛館に出入りしていた剣士の中には、土方歳三や沖田総司など、のちの新選組中心メンバーたちがいた。特に土方歳三との関係は深く、義兄弟の契りを交わした。
浪士組に参加後壬生浪士組を結成
14代将軍徳川家茂を警護する組織「浪士組」の募集が行われると、近藤は試衛館の仲間たちと共にこれに参加し京に向かう。浪士組はすぐに解散となったが、近藤たち試衛館組と、浪士組で出会った「芹沢鴨」らは共に京都に残った。
そして、会津藩主松平容保のもとで新たな治安維持組織「壬生浪士組」を結成した。近藤は、芹沢鴨と新見錦とともに局長の座についた。
芹沢鴨暗殺
活躍が認められた壬生浪士組は、名を新たに「新選組」ち変更した。その頃、芹沢鴨は街での暴行騒動などの悪行を行っていた。土方、山南ら近藤一派は芹沢鴨本人とその一派の粛清を決行し、近藤勇を唯一の局長とした新たな体制の新選組がスタートした。
池田屋事件で新撰組の名が轟く
1864年、新撰組は池田屋事件で河上彦斎の師である宮部鼎蔵を含む、多くの攘夷浪士の粛清に成功した。この事件により新撰組の名が世間に轟き、新撰組の勢いが増していく。
近藤自身も池田屋事件に剣士として参加していた。沖田や藤堂平助らを率いて先陣を切り、池田屋への突入を果たした。
大政奉還
1866年、幕府権力が徐々に弱っていくなか、近藤は幕臣に取り立てられ、正式に旗本(位の高い武士)となる。しかし、10月には大政奉還が行われ、江戸幕府は名目上を終わりを迎えた。
また、新撰組隊士出会った伊東甲子太郎は、孝明天皇の陵墓を守る「御陵衛士」となり新撰組を離脱する。この際、藤堂平助や服部武雄ら新撰組隊士たちも伊東と共に新撰組を離脱する。
油小路事件で藤堂平助らを粛清
御陵衛士が幕府の敵である長州を擁護する動きを見せたため、新撰組は御陵衛士の粛清を決行。伊東甲子太郎を暗殺し、その遺体の受け渡しにきた御陵衛士たちをまとめて闇討ちした。
粛清された隊士の中には、試衛館時代からの仲である藤堂平助を含まれていた。また、この油小路事件の後、近藤は御陵衛士残党に襲われ方を負傷した。
戊辰戦争に敗北し斬首される
近藤ら新撰組は、旧幕府軍と新政府軍の戦いである「戊辰戦争」に旧幕府軍として参加した。しかし、鳥羽・伏見の戦いに敗走し多くの戦死者を出した。その後新撰組は、「甲陽鎮撫部隊」と名前を変え甲州を目指すが、勝沼の戦いで再び敗走する。
その後意見が食い違い、試衛館からの仲間である原田左之助と永倉新八が近藤の元を離れる。それでも土方と近藤は再起を図るが、新政府軍に包囲されてしまう。近藤は自ら投降し、斬首された。享年は35歳出会った。
Fateシリーズの設定と活躍
ぐだぐだ新撰組ジ・エンドで登場
近藤勇は、期間限定イベント「ぐだぐだ新撰組ジ・エンド」で実装された。敵のボス「黒の剣士」として登場し、沖田や土方ですら近藤だとわからないほど、生前から変化した姿で、新選組メンバーを次々と捉えていった。
近藤勇の関連キャラクター
| キャラ | 関係性 |
|---|---|
沖田総司 |
・特に付き合いの長い隊士 ・剣で1度も勝てていない |
土方歳三 |
・義兄弟の契りを代わした相手 ・「歳」という愛称で呼ぶ |
藤堂平助 |
・同じイベントで実装 ・新選組を終わらせるために行動 |
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