【陰陽師】禍神饗宴ストーリーまとめ【ネタバレ注意】
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『陰陽師』の「禍神饗宴」イベントのストーリー「神の囁き」をまとめて紹介。動画とストーリーをそれぞれ分けて記載しているので参考にどうぞ。
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神の囁きストーリー
饗宴の始まり
花畑の約束
闇の新生
枷島篇
枷島篇ストーリー |
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——枷島、桟橋の前 暗雲が垂れ込める枷島では、小雨が降っている。桟橋の近くで怪しい船を発見した看守たちは、それを取り押さえた。今、島にいる藤原家の武士たちが不審者二人を詰め所に連行している。【小白】 「セイメイ様、猫川様の羅針盤はすごいですね、こんなにすぐ到着するなんて。ただ、不審者だと思われているようですね……」詰め所に行く途中で見かけた兵士らしい男たちは、防御結界を設置する仕事に励んでいた。【藤原陰陽師】 「おい、気をつけろ、よそ者を結界に近づけさせるな。」【晴明】 「怪しい島だな。枷島の警備はあまりにも厳重だ。港には何百もの藤原家の船が泊まっている。ここに来る途中、村はあったが、人っこ一人見かけなかった。そして一番怪しいのは、この黒い雨だ。」【小白】 「黒い雨ですか?小白も気づいてました。雨に打たれると、火傷した時みたいな痛みを感じます。」【晴明】 「この雨には、枷島の秘密が隠されている。道綱が言っていた。世刻みの命が脱獄したあと、枷島は藤原家の新しい当主の支配下に入ったと。彼は当主になったばかりだが、底が知れない男だ。」【晴明】 「この旅は一筋縄ではいかないだろう。」詰め所に到着すると、雨はますます激しくなり、寂れた枷島を覆った。【藤原の武士】 「ここは藤原家の管轄下にあります。許可がないのでしたら、たとえ晴明様でもお帰りいただきます。」【晴明】 「緊急事態だから、単刀直入に言おう。平安京を襲撃した不埒者、世刻みの命の調査に来た。あの男を速やかに捕まえるには、島で手がかりを見つけなければならない。」【藤原の武士】 「お前……」——一方、枷島の周辺海域【源氏の陰陽師】 「頼光様、枷島の南東海域に前哨艦隊を展開しました。藤原家は多くの艦船を有していますが、まだ枷島を隔絶するための結界の設置を行っています。また、今回出陣する鬼兵部ですが、水陸両用型をもとに大金を注ぎ込んで開発に成功した新しい潜水型です。ですので水中に潜り、結界を避けることができます。ご命令通り、此度は陰陽術ではなく、機関術で隠蔽工作を展開しております。当分の間は、枷島にいる藤原家の斥候に察知されることはないかと思われます。」【源頼光】 「気づかれても構わない。大義名分は源氏にある。一方、藤原家は罪人を見逃した上、枷島で大惨事を招いた。」【源氏の陰陽師】 「大惨事ですか?それは……」【源頼光】 「昨日鬼切から報告が届いた。彼は面白いことを発見した。」【源氏の陰陽師】 「面白いことですか?」【源頼光】 「そろそろ戻ってくる頃だろう。」【鬼切】 「源頼光!なぜ前哨部隊を撤退させないんだ。報告が届かなかったのか?」【源頼光】 「もちろん届いたさ。」【鬼切】 「!ならば事態を理解して、まだ弁を弄する余裕があるのか?直ちに命令を、先行部隊を撤退させるんだ!」【源頼光】 「だめだ。あなた…」【源氏の陰陽師】 「……こほん。頼光様、鬼切様、一体どういうことですか?」【鬼切】 「数日前、前哨部隊を率いて枷島の周辺を調査した。しかし、島には厳重な警備が敷かれていて、普通の偵察術では結界を突破できない。俺の術を使っても多くは分からなかった。」【源頼光】 「藤原家の本業は情報屋だ。偵察対策は万全だろう。それに陰陽術を使った以上、もう気づかれているはずだ。」【鬼切】 「……」【源氏の陰陽師】 「こほん、鬼切様、大丈夫です。源頼光様は何もかもお見通しです、続けてください。」【鬼切】 「八方塞がりだと思っていたら、突破口を見つけた。枷島周辺の海に来てから、黒い雨が降り続けていた。あれは雨というより、燃えかすだ。気味の悪い雨に触れると、普通の人間は忽ち正気を失う。雨に触れると、船は忽ち老朽化してしまう。たとえ鋼で作られた鬼兵部であっても、例外ではない。」【源氏の陰陽師】 「鬼切様、此度の鬼兵部は大金を注ぎ込んで開発されました。一騎あたりの制作費は二百万勾玉ですので、大切に使ってください。」【鬼切】 「二百万勾玉……?源頼光、なぜ何も言わなかった?」【源頼光】 「先に戦況報告を。勘定は後だ。」【鬼切】 「……枷島の外で黒い雨に触れると、全ての物は一瞬で劣化し、消えてしまう。結界がなければ、前哨部隊は崩れていただろう。あの黒い雨は、この世のものだとは思えない……あれは一体何なんだ?」【源頼光】 「もしかしたら、お前の直感通り、あれは神の血なのかもしれない。」【鬼切】 「神の血……他の世界の神か?まあいい、ややこしい話はここまでだ。陰陽師たちに標本をとっておくよう命令しておいたから、このあと報告が入るだろう。だが、枷島は間もなく嵐に見舞われる。黒い雨が激しくなれば、前哨部隊の鬼兵部は甚大な被害を受けるだろう。源頼光、今すぐ撤退の命令を出してくれ。」【源頼光】 「まだだ。ここは平安京に近い海域で、離島や荒川にも近い。鬼兵部を前線に出せば、汚染の進行を遅らせることができる。水中深く潜らせ、いざという時になったら浮上させろ。」【源氏の陰陽師】 「はっ!」【源頼光】 「枷島は非常に怪しい。派兵する前に、陰陽寮に軍事申請書を提出しておいた。堅苦しい老いぼれどもは時代遅れだが、何を企んでいるのか探っておくに越したことはない。ついで藤原家の腹も探ってみよう。」——枷島、桟橋の前【藤原の武士】 「そうだ、お前の言う通り、世刻みの命は禍津神を召喚し、枷島を血祭りに上げた。あの日、島の看守も囚人も、皆殺しにされた。だったらどうして事件が起きたことを知ってるんだ?それに、貴様からは世刻みの命と似た気配を感じるぞ……まさか共謀者が晴明殿に変装しているのか?」【小白】 「共謀者だなんて……小白たちは調査しに来たんですよ!」【藤原の武士】 「皆の者、構え!直ちに不審者を取り押さえよ!」一瞬にして、晴明と小白は武士たちに囲まれた。【小白】 「ちょっと!あなたたち——」武士たちは刀を抜き、攻撃態勢に移る。晴明が右手をわずかに持ち上げると、そこから青い術式の光が漏れた。【晴明】 「小白、私の後ろに行け。」一触即発の時、白い鳳凰の形をした琴の音が割り込んできた。【晴明】 「これは?」音と共に、白鳳が現れ、武士たちの武器を打ち落とした。翼で晴明の顔を優しく撫でると、白鳳は雨の中に消えた。【藤原の武士】 「この音、まさか——」いつの間にか、鳳凰の装飾が施された船が桟橋近くの海に来ていた。琴の音は船から聞こえてくる。船頭にはよく訓練された様子の、立派な装備を身につけた兵士たちが列をなしている。約三百人ほどの部隊は、よりすぐりの兵士たちに違いない。兵士たちは素早くはしごを掛け、急いで道を整えると、両側に並び、真ん中に向かって頭を下げた。【藤原道長】 「枷島の諸君、お久しぶりですね。」大柄な男が前に出てきた。男は美しく高価であろう服を羽織り、重々しい雰囲気を漂わせている。しっかり背筋を伸ばした男は、厳しい士官のような雰囲気を漂わせている。近寄り難い印象を与えるが、親しみを感じる笑顔を浮かべている。【藤原道長】 「病で寝込んでいたせいで、諸君への指導を怠ってしまいましたが。」【藤原の武士】 「当主様!」【藤原道長】 「晴明殿に再び手を出す者がいれば、島の中心で無期刑を受け、骨肉を剥がされ、二度とそこから出ることはないでしょう。そうすれば、まだ私を喜ばせることができるかもしれません。」【藤原の武士】 「当主様がお招きしたお客様でしたか、大変失礼いたしました。どうかお許しください。一刻も早く真相を突き止めようとするあまり、ご無礼を働いたこと、深くお詫び申し上げます。」【藤原道長】 「いいでしょう。過ちを改めてこそ、我が藤原家の守り人にふさわしい。」【小白】 「威勢がいいですね。」晴明に目を向けた途端、冷たい印象だった男の態度が突然軟化した。【藤原道長】 「部下の失礼をお詫びし、改めて晴明殿を歓迎いたします。私は藤原道長、ただの病弱な藤原家の当主です。体の具合で滅多に戦に赴くことはありませんが、平安京のために最前線で戦う晴明殿を深く尊敬しています。晴明殿は暗闇にいる私どもにとって、まさに灯台のような存在です。」【晴明】 「……」【藤原道長】 「平安京を守りし大陰陽師、陰の半身を分離させた奇人、海国の侵入を阻止した奇策士、鬼王と酒を酌み交わす白狐の子、神々の戦を終結に導いた大英雄……ですが、私はこう呼ばせていただきたい——未来を照らす導き手と。ですが、枷島は間もなく災いに見舞われます。平安京の大切な導き手を失ったら、私は打ちのめされるでしょう。晴明殿を危険な目に遭わせるわけにはいきません。屋敷にお連れする用意はできています。私と共に枷島の真実を探りましょう。ご足労を願えますか?」【小白】 「え?初対面なのにいきなり家に誘うんですか?良からぬことを企んでいるんでしょう!」【晴明】 「道長殿。枷島が災いに見舞われていると知り、我々は調査のために島に来た。藤原家は情報が早いと評判だ。お噂はかねがね伺っている。なのに、誰もが知っていることを間違えるとは。お褒めに預かり光栄だが、それは私一人ではなく、人間、鬼、神、妖が力を合わせて初めて可能となることだ。しがない陰陽師として、同盟を組むことに協力しただけで、大したことはしていない。藤原家は情報屋で名を馳せている、道長殿は私より詳しいはずだが。やはり病で寝込んでいたせいで把握していなかったようだな。今回の調査は、私に任せてほしい。」【藤原道長】 「ははは、面白い。百聞は一見に如かずとはよく言ったものです。月日が流れるにつれ、様々な英雄が現れます。表で人々に尊敬される英雄もいれば、裏で孤独に道を進み続ける英雄もいます。残念なことに、ここ数年は病で寝たきりになり、運良く助けられ九死に一生を得ましたが、この世にどんな変化が起きたのかはよく分かっていません。ですが、今回の件に関しては、やはり晴明様にご教示いただきたい。手遅れになってから後悔するわけにはいきませんから。」【晴明】 「分かった。道長殿は病を患っている、私が代わりに説明しよう。」——一方、枷島の周辺海域【鬼切】 「藤原家で一体何があった?」【源頼光】 「枷島と藤原家の秘密は、実に興味深い話だ。」【鬼切】 「大罪人が看守を皆殺しにして脱獄したって話だろう、それの何が面白いんだ?」【源頼光】 「藤原家は情報屋として名を馳せている。故に一族の大事なことは、秘密裏に進める。だが脱獄事件はちょうど藤原家の当主が変わる時期と重なった。おかげで少し情報が手に入った。脱獄事件が起きるまで、枷島は前当主藤原隆一の管轄区域だった。そして実際の管轄者は、当主隆一の右腕、陰陽権助であり、隆一の弟でもある藤原良房だった。良房は穏やかな性格で、医者だった。彼の妻である紗理奈もまた医術に優れた医者で、二人には一人娘がいた。しかし妙なことに、この十数年間、娘はめったに屋敷から出て来なかった。医者だからといって、病にかからないわけではない。紗理奈は病に冒され、いつまで経っても治らなかった。彼女は都を離れ、実家に戻ったと言われている。そのせいで良房は鬱になり、次第に正気を失っていった。数ヶ月前、良房は狂気に囚われ、枷島を管理することができなくなった。その後すぐに脱獄事件が起き、島の人間は皆殺しにされたと言われている。ただし、私の調査によれば、その噂は正確ではなかった。貴族の娘が一人、生き残っていたのだ。」【鬼切】 「生存者、しかも貴族の娘だと?」【源頼光】 「その娘は他でもない、良房の娘、藤原綾子だ。そして世刻みの命は、彼女を連れて行った。」【鬼切】 「なぜ綾子が枷島に?」【源頼光】 「そこが最も興味深い点だ。そして、脱獄事件の後にはこんなことがあった。事件当日、陰陽権助良房は自害した。そしてその夜、前当主隆一は病死した。七日後、藤原道長が当主を継いだ。」【鬼切】 「……」【源頼光】 「脱獄事件と藤原家の当主交代は、ほぼ同時に起きた。偶然にしては出来すぎている。ある者の計画通りに進んでいると言ったほうが筋が通る。」【鬼切】 「あくまでも推測だ。証拠がない限り、俺はこの目で見たことしか信じない。とはいえ、藤原家の今までの当主は、病死するか、正気を失うのが定めだった。都が疫病に見舞われていなくても、藤原家では何人も病死していた。まさか、遺伝の病だったのか?」【源頼光】 「噂によれば、「天鳥琴」を弾いた者は、早逝する定めだったらしい。」【鬼切】 「恐ろしい琴だな。油断すれば、身内に不幸をもたらしかねない。」【源頼光】 「それはどうだろう。天鳥琴は血筋を途絶えさせるわけでもないし、恐ろしい呪いがあるとも決まったわけではない。鬼神や怨霊、呪いといった噂は、人間同士の争いをごまかす言い訳にすぎない。藤原家は派閥が多く、争いが後を絶たない。源氏の長老たちは貪欲で意気地なしだが、歩調は揃っている。だが藤原家は違う。」【鬼切】 「何故だ?」【源頼光】 「権力には争いがつきものだ。絶大な権力を握っていて、外憂のない藤原家では、当主の座を狙う複数の集団が台頭した。そうして、内部の争いが長く続くことになった。争いの中、禁術を使う者、身内を殺める者、よその術者を招き入れる者が現れた。やがて神を降臨させ、大惨事を招いた。とはいえ、藤原家の初代当主は、最初から子孫の争いを望んでいたのかもしれない。熾烈な争いを経て当主を継ぐ者は、他者に付け入る隙すら与えないだろう。」【鬼切】 「そういう回りくどいやり方は、俺には理解できない。」【源頼光】 「……無理しなくていい。ところで、藤原良房の研究は、ある邪悪な術との類似性が高かった。以前、都の隠し通路で邪悪な術が記載された巻物の一部と蝶の家紋を発見した。ひょっとしたら、枷島の件も、源平合戦も、藤原家内部の争いも、全てその術と関係しているのかもしれない。」【鬼切】 「……」【源氏の陰陽師】 「頼光様!鬼切様!」【鬼切】 「何事?」【源氏の陰陽師】 「申し訳ございません、邪魔してしまいましたか?」【源頼光】 「ああ。」【源氏の陰陽師】 「……」【鬼切】 「真に受けるな、報告しろ。」【源氏の陰陽師】 「鬼切様、雨の分析結果が出ました。」【鬼切】 「どうだった?」【源氏の陰陽師】 「例のものですが……やはり雨ではありませんでした……枷島の中心は、まるで噴火寸前の火山のように、災禍の力に満ちています……空から降ってきているのは雨ではなく、災禍の力の灰です!」【鬼切】 「……灰?詳しく説明しろ。」【源氏の陰陽師】 「はっ!簡単に言うと、枷島を火山に例えるなら、災禍の力は岩漿になります。そして……このあと——噴火が起きます!」——枷島、桟橋の前 暗雲が垂れ込め、大雨が降り注ぐ枷島は、災いの降臨を匂わせている。【晴明】 「今日道長殿が直々に枷島に来たのは、どう考えてもおかしい。脱獄事件は数ヶ月前に起きた。当時看守を皆殺しにした世刻みの命は、もう島を出ている。彼が永生の海を訪れたことを、情報収集が得意な藤原家が知らないはずがない。今更彼を追ってももう遅すぎるだろう。つまり、最も重要なのは、枷島で起きていること。」道長のほうに手を差し伸べると、晴明の手はすぐ雨に濡れた。【晴明】 「この黒い雨。あるいは、灰と言うべきか。」陰陽術で守られていなければ、今頃、晴明の手はただれていただろう。晴明の手に落ちた黒い液体は、災禍の力によって歪められ、形を変え続けている。やがて、それは黒い灰のようなものになった。【晴明】 「ここの霊力の流れを確認した。枷島の霊力は乱れ、闇の力が膨らみ続けている。やがて火山のように噴火し、周囲の海を汚すだろう……道長殿は、一体何を隠している?そして一体何がしたい?」晴明の問いかけを前に、藤原道長はただ興味深そうに晴明を見つめ、拍手した。【藤原道長】 「さすがは我が導き手です。本来であれば、一族の問題は、晴明殿を煩わせたりせず、私が解決すべきでしょう。」【晴明】 「本気で問題を解決したいのならば、私に真実を教えるべきだろう。」【藤原道長】 「藤原家のために、そして晴明殿のためにも、全てを教えるわけにはいかないのです。どうかお許しください。ですが、晴明殿に嘘をついたことはない、これだけは断言できます。枷島に来たのは、危機を解決するためです。何を隠そう、監獄が設置されるまで、枷島は藤原家の先祖が「古の災い」を封印した地でした。」【晴明】 「「古の災い」を封印した地?」【藤原道長】 「この件は一族の中でも秘密にされています。その始まりは千年前の災いに遡ります。きっかけは陰陽道への見解が分かれたこととされています。人々が力を合わせて災いを鎮めるまでに、約半分の命が失われました。藤原家の先祖は、災いが起きた場所、枷島を封印しました。今、ここは海に囲まれていますが、昔は枯れた大地でした。その後、封印されてはいたものの、災いは禍津神という名の使者を産み出しました。脱獄の際、世刻みの命は禍津神の魂の一部を持ち去り、壊れかけていた封印を破壊しました。その結果、古の「災いの嵐」が島中に満ちているのです。この黒い雨は——災いが訪れる前触れです。」【晴明】 「(「古の災い」……源平合戦の災いと関係があるのか?)道長殿、何か対策はあるのか?」【藤原道長】 「元々私の先祖が封印した災いです。この事件は私が解決しなければなりません。どんな代償を払うことになっても、藤原家は必ず「災いの嵐」を封印します。」【藤原陰陽師】 「道長様、ご命令通り、島中の防御結界の設置が完了しました。そしてこちらは枷島の災いについての最終報告です。陰陽師と兵士たちは桟橋の近くに集結しております、ご命令を。」【藤原道長】 「北西と南東では状況が異なる。何か見落としているかもしれない。」【藤原道長】 「偵察部隊を倍に、そして例の二箇所に結界を設置して補強しましょう。」【藤原陰陽師】 「はっ!」【藤原道長】 「諸君、陣形を!」【藤原陰陽師】 「はっ!」【藤原道長】 「諸君、我々が枷島を守るのです。例え肉体を失い、魂を滅ぼされようとも、撤退はしません。災いを鎮める方法は、「災いの嵐」が出現する際に、同等の力で相殺することです。今までに、災いの進行を複数回調査しました。そして災いにも抗うことのできる猛者、藤原家の三百人の精鋭を選びました。目的は、「災いの嵐」が降臨する際に、災害を枷島の結界内に封じ込めることです。故に、ここに残れば、もう後戻りはできません。」雨に煙る枷島は墓場に、三百人の黒服の兵士は冷たく硬い墓碑に見える。【藤原道長】 「これは我々の最初の戦いであり、決死の戦いでもあります。枷島は戦場ではありませんが、戦場よりも残酷な戦いが待ち構えています。藤原家は戦が上手なわけではありません。けれど諸君は間違いなく勇ましい戦士です。私は諸君と共にこの地を守り抜きます。」【藤原家の兵士たち】 「はっ!我々は、必ずや枷島を守り抜きます!!」【晴明】 「さすがは藤原家の精鋭部隊だな。」【小白】 「道長様の護衛だと思っていましたけど、兵士だったんですね。」【藤原道長】 「正規軍ではありませんが、みな修羅場をくぐってきた猛者です。世刻みの命が脱獄した際、前当主隆一が病死し、枷島の管轄者良房が自害したため、藤原家では騒乱が起きていました。一足先に枷島に来て調査を行いながら、私は枷島を守る勇士を呼び集めました。それは順調に進みましたが、意外なこともありました。」それを説明するには、まず前当主である藤原隆一について紹介しないといけない。藤原隆一は豊かな領地を有していた。平安京の郊外にある領地には、立派な屋敷がいくつも建てられ、使用人を千人近く抱えていた。黒夜山の近くにあるため、周辺には美しい景色が広がっていた。領地の真ん中には寝殿が、庭には築山があり、競馬場に狩り場、泉殿、釣殿も設置されている。それとは対照的に、黒夜山には強盗を行う集団がいた。それは戦場から脱走した黒尾将軍の部隊だといわれている。一度丹波山に隠れた後、源氏の辺境拠点を転々として、やがて黒夜山に住み着いた。それ以来、藤原隆一の領地は幾度も襲撃を受け、財宝や物資を奪われた。黒尾の襲撃を受けるたびに、藤原軍は一溜まりもなく叩きのめされ、多くの死傷者が出る。藤原軍は見て見ぬふりをするようになり、周辺の村人たちは不安な日々を送っていた。枷島で暴動が起きた時、ちょうど前当主隆一が病死した。混乱の中、新たな当主、藤原道長がこの地を訪れた。彼は躊躇なく、黒夜山に行くことを決めた。【藤原陰陽師】 「道長様、もう一度お考えになってください!枷島の件で、皆不安になっています。良房様が自害され、隆一様が病で亡くなりました。道長様は七日前に当主を継がれたばかりです。厄介な事態に直面されているとはいえ、自暴自棄にはならないでください……もしものことが起きたら、我々は一体どうすればいいのですか?あいつらは獣です。黒尾は藤原家の者を決して見逃しません。危険です!」【藤原道長】 「獣ならば、手懐けるまで。」そう言い捨てると、道長は兵を一人も連れず、案内役の村人と共に黒夜山に入った。危険な目に遭うことなく、道長は黒尾の居場所にたどり着いた。【黒尾将軍】 「面白い。藤原家の当主が、なぜ野盗の根城に?」【藤原道長】 「黒尾殿、私に仕える将軍になってください。戦士は戦場で活躍してこそ戦士。野盗に身をやつすべきではありません。そもそも、藤原黒尾は、もともと藤原家の者でしょう。」【黒尾将軍】 「貴様のような新人に仕えろだと?笑止、貴様がここまで来れたのは、俺が温情をかけたからだ!藤原家の当主よ、この数年間、俺は部下と共に野盗の道を歩んできた。戦闘や略奪を繰り返すうちに、俺たちは人々や正規軍に恐れられる獣となった。この年月が、とうに藤原家の戦士として戦った日々を塗り替えたのだ。戦場を駆け回っていた時、俺たちは藤原家に数々の勝利をもたらした。平安京が火の海に変えられた時、俺たちは躊躇なく民の救助に向かった。辺境で妖魔の軍勢と戦った時、矢を受けても、血を流しても、俺たちは音を上げなかった。だが最後には無実の罪を着せられた。枷島に行かなかったから。藤原良房の人の道を外れた研究に、手を貸さなかったから。俺は藤原黒尾。藤原家の叛将だったが、今は黒夜山に巣食う野盗の首領だ。今更、藤原家に戻ってほしいとほざくのか!」【藤原道長】 「藤原家に戻ってほしいとは言っていません。」【黒尾将軍】 「なんだと?」【藤原道長】 「誤解です。帰順は求めていません。取引をしに来ました。私は藤原道長、藤原家の当主です。ですがまた、ただの病弱な琴師でもあります。病人に、しがない琴師に雇われる気はありませんか?」【黒尾将軍】 「面白い。だが俺が口車に乗せられると思ったか?金が欲しければ、貴様を人質にして藤原家に身代金を請求すればいい。生殺与奪の権は俺にある。」【藤原道長】 「私を殺してもいいことはありませんよ。私は早くに両親を亡くした病人です。私を人質にしても、藤原家は交渉に応じないでしょう。ですが、黒尾殿と部下の方々は違います。貴族を襲うのは、貧しい人々を、そして自身の家族を助けるためです。部下に黒夜山を囲めと命令しておきました。私が戻らなければ、ここは数ヶ月間封鎖されます。この洞窟は守るのは簡単ですが、物資の調達が難しい。これまでは麓の村人と取引をしていたのでしょう。突破口は強攻ではなく、兵糧攻めです。数ヶ月のうちに、黒尾軍は食糧が底をつき、座して死を待つしかなくなります。とはいえ、洞窟を出れば、獣の餌食になるか、敵軍に殺されてしまう。」【黒尾将軍】 「お前……」【藤原道長】 「交渉とは、お互いの需要を満たすこと。さもなければ、共倒れになります。」【黒尾将軍】 「部下がいるのに、なぜ俺のような叛将が必要なんだ?」【藤原道長】 「黒尾殿、この世には金銭では手に入らないものがあるのです。将としての才能も、死を恐れぬ勇気も、無実の罪を着せられたことも、金でどうにかなるものではありません。故に、買収ではなく、取引をしたいのです。代わりに、隆一の領地を拠点として使ってください、部下や家族が安心して暮らせる場所が必要でしょう。最後に、枷島の危機の解決を望む者として、黒尾殿に頼みがあります。」【黒尾将軍】 「枷島の危機?」道長は枷島で起きていることを、全て黒尾に伝えた。【藤原道長】 「黒尾殿、枷島は存続の危機に瀕しています。ですが、生きて帰れる保証はないので、無理にとは言いません。検討してみてください。三日間、麓で返事を待っています。三日後、私は次の場所に向かい、兵を集めます。」その夜、心配で気が気でなかった藤原家の陰陽師たちは、帰ってきた道長とようやく再会できた。【藤原陰陽師】 「奇跡だ……!よくぞご無事で!」翌朝、黒尾軍が東の狩り場にやって来た。黒尾軍の百八十五人の猛者が藤原道長の配下となった。間もなく救援のために枷島に向かう。【藤原陰陽師】 「あの残虐な黒尾軍が改心したなんて、まだ信じられません。」【藤原道長】 「たとえ獣であっても、手懐けられるのです。枷島が危機に瀕していると聞いて、人々は力を合わせて災いに立ち向かうと決めました。」【藤原陰陽師】 「仲間を募集すると、志願者は後を絶ちませんでした。道長様は家族の承諾を得るようにと条件をつけました。それでも千人以上の志願者が現れ、最後はその中から三百人の精鋭が選出されました。」【小白】 「ということは、道長様も家族の承諾を得たのですか?」【藤原道長】 「今の私の家族は、天鳥琴だけと言ってもいいかもしれません。」道長は家族に接するように、優しく琴を弾く。【藤原陰陽師】 「ご心配には及びません。昨日は道長様の命令通りに、近くの村に知らせしました。近いうちに津波が来るので内陸に避難してくださいと。藤原家の艦隊が避難を手伝います。」【小白】 「ここに来る途中、いくつかの村を通りました。だから人がいなかったんですね。みなさん無事ならよかったです。」【晴明】 「これに関しては、道長殿の判断が正しいと思う。しかし、枷島の災いの嵐に直面する三百人、そして道長殿は、命を落とすかもしれない。もとをただせば、これは道長殿ではなく、前当主の責任だ。藤原家に騒乱が起き、災いに遭った今、喜んで命を投げ出すのか?」【藤原道長】 「晴明殿も同じでは?私の立場になられたら、晴明殿も同じ決断を下されるでしょう。生きているうちに有意義なことをしなければ、無駄な死に方をすることになります。」【晴明】 「では私も同行させてくれ。「災いの嵐」が来る前に、源を突き止めたい。災いに立ち向かえる強者が揃った以上、源を見つけて破壊すれば、災いの嵐を回避できるはずだ。」【藤原道長】 「確かに、それが最良の策ですね。しかし封印が破壊されてから、災いの源は枷島の地下深くに入り込んだのです。島ごと壊すことも考えましたが、木っ端微塵にしない限り、災いの源を逃してしまうかもしれません。そうなれば、それはまさに海に落とした針を探すようなもの。しかし、今は時間がありません。」【晴明】 「道長殿、島の中心にある封印の地に連れて行ってもらえないか?」——しばらくして、二人は島の中心付近に来た。島の中心に向かった晴明は、霊視でしばらく調査した後、すぐに戻ってきた。【晴明】 「道長殿、私に一つ策がある。私の術であれば、災いの源をあぶり出せる。そうすれば、「災いの嵐」が来る前に、みんなと力を合わせて源を破壊できるかもしれない。」【藤原道長】 「その術というのは、まさか?」【晴明】 「陰陽分離の術だ。ただし、広範囲の陰陽分離の術を発動するには、島の中心に入り、封印の地に法陣を設置しなければならない。法陣の設置が完了したら、私は一旦ここに戻る。合流でき次第、法陣を起動して災いの源の位置を特定する。それからみんなでそこに向かい、源を破壊する。」【藤原道長】 「やはり晴明殿は平安京の導き手です。「災いの嵐」が来るまで、枷島は安全なはずです。とはいえ、島の中心にある災いの力の残穢は精神を蝕みます。一緒に行かせてください。」【晴明】 「道長殿の役割は、皆に指示を出すことだ。それに、万が一に備えて、道長殿にはここにいてほしい。」しばらく考えてから、道長は晴明に白い羽根を手渡した。【藤原道長】 「これは吉兆の羽根です。私の代わりに厄を祓ってくれるでしょう。」【晴明】 「感謝する。」【藤原道長】 「ただ、羽根を持つ人の動向は全て私に筒抜けです。」【晴明】 「……」【藤原道長】 「冗談です、そんなことはできません。この羽根が晴明殿を守ってくれますように。」準備が終わると、晴明はみんなと別れ、島の中心にある封印の地に向かった。目に映るのは、果てしない闇。湿っぽく、暖かく、揺れていて、まるで命を生み出す子宮に戻ったようだ。突然、妙に懐かしい歌声が聞こえた。【???】 「おかえり、愛しい子よ——」 |
囚人篇
囚人篇ストーリー |
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果てしない闇の中から、妙に懐かしい歌声が聞こえてくる。【小白】 「セイメイ様……セイメイ様?……ご無事ですか?」気がつくと、優しい歌声は聞こえなくなっていた。【晴明】 「懐かしい歌声が聞こえたような気がしたのだが。」【小白】 「歌声ですか?小白は何も聞こえませんでしたけど……」【晴明】 「(いや、あの歌声が、ここに現れるはずはない。)……何でもない。」晴明は心を整理し、周りを観察する—— ——噂によれば、ここは闇深い「牢獄」、「禍津神」が降臨する場所だ。【晴明】 「今の枷島は災いの力に満ち、おぞましい気配を漂わせている。少しでも油断すると、禍津神が残した囁きに惑わされ、狂気に囚われてしまう。慎重に進めなければ。小白、私のそばから離れるな。」見渡す限りの血の川が、煉獄のような最奥に向かって流れていく。【晴明】 「途中で陰陽分離の術を設置し、災いの源を探し出す。そして……あの時枷島で起きた脱獄事件の真相を、できる限り解明する。善は急げだ。小白、さっそく始めよう。」地獄のような場所にいても、晴明は迷わずに霊符に力を注ぎ込む。次第に地面に法陣が浮かび上がる。その時、血色の霧が枷島を包み込んだ……晴明と小白は枷島に刻まれた記憶に取り込まれていく…… 数ヶ月前—— 枷島は日の当たらない監獄であり、おぞましい「禍津神の島」だ。ここには、悪辣な看守が大勢いる。だが、囚人を恐怖させているのは、看守ではなく、かの「禍津神の宴」である。宴が開催されるたびに、地面は大穴を開け、まるで顎を開く巨獣のように囚人を呑み込んでいく。そして囚人たちの中には、その深淵に弱者を陥れる者もいれば、立ち上がり抗う者もいるのだった。しかし、何度脱獄しても最後には失敗に終わった。何人たりとも、禍津神から、枷島からは逃れられなかった。あの日までは—— 「禍津神の宴」に響き渡る聖なる歌声は、地獄のような島に初めて希望を与えた。闇へと誘われし者よ 生贄はどうか忘れなきよう ただただひたすらに 神の御座すほうへ 罪背負いし愚か者よ 消えゆく灯火に哀歌を【???】 「ただただひたすらに 御許しへの道を」「島の中心」に続く道…… 透き通った歌声は枷島中に響き渡り、罪人の魂を慰める。歌声が響くと、罪がはびこる深淵で暴れ回る禍津神の触手まで、次第に大人しくなった。残酷な「禍津神の宴」に、初めて遅れが生じた。絶望に満ちた島で、一筋の希望が見えた。囚人たちは叫びながら、走りながら、喜びを噛み締めながら、唯一の希望、高台の上にいる無垢なる少女に駆け寄る。しかし、慈悲深い微笑みをたたえた彼女は、闇の中に姿をくらました。闇の中から烏の群れが飛び出すと同時に、高台の上で一人の男が姿を見せた。囚人たちは驚いた。【囚人】 「あれは厳重に収監されているはずの大罪人……「世刻みの命」では!?この前一人で枷島の最奥に入って行ったと噂では聞いていたが、禍津神に食われたとばかり……まさか生きて帰ってくるとは!それどころか——傷一つないのか!?」ざわめく囚人たちに向かって、高台の上にいる男がゆっくり手を上げる。無言の圧力を感じて、囚人たちはすぐさま口を閉じる。囚人たちの視線は、「生きて帰ってきた」男に集中している。世刻みの命が徐ろに口を開いた——【世刻みの命】 「枷島は完璧な牢獄だ。この監獄こそ禍津神の食卓。俺もお前たちも、その餌食にすぎない。しかし今日初めて、「禍津神の宴」を遅らせることに成功した。彼女が我々を「守る」。」世刻みの命が後ろに振り向くと、白衣の少女が表に出る。少女の歌には、神の宴を鎮める力があった。【世刻みの命】 「だが恐れるな、出口は調べがついている。この監獄の奥深く、かの神を封印する場所こそ、出口なのだ。俺についてくるといい。神を打ち倒し、再び自由を手に入れよう。」世刻みの命が声高らかに囚人たちを励ます。真夜中まで、囚人たちは興奮に包まれていた。人々がいなくなり、闇に消えた少女はようやく再び姿を見せた。振り返った世刻みの命の表情が少し柔らかくなる。【世刻みの命】 「お前の望み通りだ、綾子。俺はみんなを連れて脱獄する。」それを聞くなり、綾子は頭を上げる。その魂を見極めようとするかのように、世刻みの命の目を見つめる。みんなの前では威厳を漂わせていた世刻みの命が、真剣に厳粛に、彼女を見つめ返す。どうやら、世刻みの命は、綾子との約束を忘れてはいないようだ。藤原綾子は微笑みを浮かべる。珍しく……本心からの笑みのようだ。それを見た世刻みの命は、少し呆れて聞く。【世刻みの命】 「綾子、別に責めるわけではないが、極悪非道な虫けらどもを助けることが、そんなに嬉しいのか?」【藤原綾子】 「嬉しいです。お母様も、きっと同じことをします。お母様が……私を待っています。」藤原綾子は淡々と、興味深い言葉を口にする。世刻みの命は一瞬戸惑い、出会った時のことを思い出した。しかし詳しく思い出す前に、綾子がお辞儀をして感謝を伝える。【藤原綾子】 「ありがとう、世刻みの命。もう一つお願いがあるの。私を「家」まで送り届けて。」綾子は再び、真意が読めない穏やかな顔になる。だが世刻みの命には分かる、彼が見た綾子は幻ではない。歌を歌う時だけ、綾子は安堵し、満足した顔を見せる。まるで地獄のような島でなく、歌声の世界に生きているかのような顔を。枷島に囚われていても、彼女はいつも冷静に、淡々としている。彼女の魂は完璧だ、空洞なのではないかと思うほどに。故に、本当の彼女に近づくことは、彼女を汚すことは、誰にもできないのかもしれない。世刻みの命は、それ以上何も言わなかった。枷島の小狭い道を通り、綾子を守りながら、世刻みの命は幾度も追手を倒した。どれだけ血が流れても、綾子は一度も振り返らなかった。彼女はよくやった。しかし少女は大人しすぎた。まるで汚れを知らない子羊だった。そんな彼女は、禍津神に捧げられる一番の供え物になる。だが……本当にそうなるだろうか?枷島の奥に進み、世刻みの命は人知れず歩みを緩める。藤原綾子と目が合った時、彼は少し控えめになっていたが、今の彼は、普段の自分に、付け入る隙がない男に戻っていた。闇に溶けた藤原綾子の後ろ姿を眺めながら、世刻みの命は彼女の魂を静かに見定める。道の先には血色の霧が立ち込め、遠くから泣き声が少しずつ聞こえてくる。ドクン、ドクンと、禍津神の心臓の鼓動が強くなっていく——禍津神の心臓が強く脈打つにつれ、藤原綾子は足早になっていく。彼女は再び優しい笑顔になった。【藤原綾子】 「もうすぐですね。」少女のつぶやきに応えるように、地面が急に崩れた。裂け目から赤い触手が一本現れた。次の瞬間、無数の触手が出現し、少女に絡みついた。鋭い触手が暴れ出すと、少女は忽ち血色に染め上げられた。だが、少女は何も感じなかったかのように、そっと目を閉じた。少女が深淵に落ちる寸前で、世刻みの命は彼女に手を差し伸べた。【世刻みの命】 「綾子!」藤原綾子が目を開ける。その青い瞳はいつものように澄んでいる。【藤原綾子】 「ご心配には及びません。また……お母様の声が聞こえました。世刻みの命、出発する時、また会いに来て。」次の瞬間、無数の触手が綾子の体を覆い、彼女の声をも呑み込んだ。触手が消えると、大地の揺れも収まり、真夜中の枷島は再び静けさを取り戻した。取り残された世刻みの命の姿は闇に覆われていた。どれだけの時が過ぎただろうか、最後に彼は出て行った。綾子は彼らが初めて出会った場所に戻った。そこは「家」などではない。このことは世刻みの命だけが知っている。この島での綾子の居場所は、恐ろしい禍津神の「懐」だ。法陣の力が弱まり、晴明と小白は現世の枷島に戻った。だが最後に見た恐ろしい光景は……二人の脳裏に焼き付き、いつまで経っても忘れられなかった。【小白】 「セイメイ様……お気づきになりましたか?触手にいたぶられている時……綾子は……まるでとっくに慣れているみたいでした。彼女は本当に藤原家の令嬢なんですか?小白は信じられません……」【晴明】 「どれだけ禍津神にいたぶられても、一度も抵抗しなかったな。……藤原綾子、君は枷島に来る前、一体どんな過去があったんだ?」晴明は深くため息をつく。【晴明】 「枷島のさらに奥に行こう。」同情を禁じえない二人は押し黙ったまま、狭い道を進み続け、開けた場所にたどり着いた。新たに現れた二人に気づくと、触手は荒々しく蠢きながら襲ってきた。恐ろしい光景を見て、小白は我慢できずに叫んだ。【小白】 「セイメイ様、気をつけてください!小白がお守りします!」晴明の予想通り、びっしり並んだ触手は自我を持っているかのように晴明たちの周りで蠢いていたが、危害を加えてはこなかった。何かを……探しているようだ。【小白】 「セイメイ様、小白は怖くて目を開けられません。匂いを嗅がれているような気が……小白は……仲間じゃないですよ!」【晴明】 「主を探しているのかもしれない。」晴明は手を上げ、触手のほうに霊符を飛ばすと、再び陰陽分離の術を発動した。二人は再びこの地に刻まれた記憶の中に入った。枷島の時が巻き戻される—— 世刻みの命は再び枷島の奥にある「主なき地」に侵入した。枷島は巨大な心臓の形をしていて、脈打つたびに地形が変わる。つまり、ここには入口も出口もない。枷島そのものが変化し続ける「牢獄」なのだ。とはいえ、枷島は無秩序に変化しているわけではない。多くの犠牲を払うことになるが、無数の道に隠された希望を見つけ出すこともできる。枷島の場合、希望が「道」であるとは限らない。それが「人」であることもある。禍津神に一番近い「主なき地」は、看守や囚人からは禍津神の「懐」と呼ばれている。世刻みの命は何度も決死の覚悟を決め、この地に入ったが、結局最奥に続く道は見つからなかった。ある日、彼は彼女と出会った。 ——屍の山の上で、触手に空高く吊るし上げられた少女に。少女に絡みつく鋭い触手は、上下に揺れる浪のように蠢いていた。蠢くたびに、触手は真っ赤な血に濡れる。遠くから見れば、少女は完全に触手に覆い隠されていた。どれほど残酷な者であっても、これは見るに耐えない光景だろう。だから世刻みの命は、少女をいたぶる触手を断ち切った。呼び起こされた少女が目を開ける。血に濡れ、傷だらけの少女は、淡々と口を開く。【???】 「放っておいてください。もう「痛み」は感じなくなりました。でも、ありがとうございます。」少し間を空け、少女は何か思い出したように言った。【???】 「あなたは、彼らとは違うみたいですね。」少女の青い瞳、そして服にある懐かしい家紋を見て、世刻みの命は考えにふける。【世刻みの命】 「(この家紋は……藤原家のものか?枷島で生き残った少女、しかも不思議な力を持っている……彼女も枷島の管轄者、陰陽権助藤原良房の実験台なのか?しかし装いや言動から見るに、普通の少女だとは思えない。)」しばらく考えたあと、世刻みの命は疑問を口にした。【世刻みの命】 「藤原家の姫が。……なぜ地獄のような監獄に?」少女が首を傾げる。男は自分が藤原家の娘であることを見抜いたが、藤原家の真実については何も知らないようだ。【???】 「屋敷のほうが、地獄そのものですから。」少女がそう言った瞬間、再び裂け目から触手が湧いてきた。その動きは明らかに早くなっている。少女は再び呑み込まれた。世刻みの命が最後に見たのは、慈悲に満ちた少女の笑顔だった。口の動きから判断するに、少女は「ご心配には及びません」と言っていた。枷島の「主なき地」に、聖なる歌声が響き渡る。ただただひたすらに 御許しへの道を 少女の歌声に慰められ、触手が大人しく消えるのを、世刻みの命は見た。例えるなら……それは盛大に咲く花が枯れるような、とても不気味な光景だった。【???】 「ご覧になりましたか?」歌い終わった少女は、少し生き生きとしていた。【世刻みの命】 「驚いた。お前の歌に、禍津神を鎮める力があるとは。お前は「禍津神」の信者なのか?」【???】 「「信者」……希望に満ちた言葉ですね。ええ、私は祈りを捧げています。お父様に「最も聖潔な蕾だけが、彼の神に見初められる」と言われましたから。お父様の期待を裏切ることはできません。私が生まれた時から、お父様はこの日を待っていたのです。私が禍津神の「器」になることを心待ちに、育ててくれました。私は藤原綾子です。」【世刻みの命】 「綾子、いい名前じゃないか。「器」に名前をつけるなど、俺は聞いたことがないが。」【藤原綾子】 「あなたは?」【世刻みの命】 「俺は一度名前を失った。今は、「世刻みの命」と呼ばれている。」綾子は小さく頷く。彼女は男の過去にも、男がここに来た理由にも興味がないようだった。「世刻みの命」という名前を覚えるだけでも、綾子にとっては大変なことだった。複雑な人間との付き合いよりも、触手との付き合いのほうが彼女は慣れていた。綾子が名前を覚えたことは、それだけでもすごいことだったのだ。お母様に教わった数少ない「礼儀」を思い出して、藤原綾子は再び感謝を伝える。どうやら、藤原綾子は話すのが苦手なようだ。彼女が生涯で一番よく口にした言葉は、幼い頃、暗い部屋で何度も繰り返した「痛い」という言葉だった。長く話すのは苦手だ。触手にいたぶられているほうが落ち着く。まるで……お母様の懐に戻ったような気持ちになれた。だから彼女はそうした。短い沈黙の後、少女が落ち着いた顔で振り返り、蠢く触手のほうに向かうのを、世刻みの命は見た。男は驚いた。」【世刻みの命】 「綾子?」綾子は返事をしなかった。世刻みの命は必死にそれを止めようとしたが、それは一瞬の出来事だった。白衣の少女はそのまま、一面に広がる赤色の中に消えた。それが世刻みの命と藤原綾子の出会いだった。 現世の枷島——【小白】 「綾子は……藤原良房が用意した禍津神の「器」だったんですね。さっき触手に触れただけで、小白は痛くて音を上げました。なのに彼女は幼い頃からずっとこの「痛み」に耐えているなんて。セイメイ様、つまり、世刻みの命が綾子を助けたのですか?」【晴明】 「いや、違う。」晴明は世刻みの命と綾子のやり取りを振り返る。綾子は自分の意志で行動していた。【晴明】 「藤原綾子のことを、見た目で判断してはいけない。彼女は自分の意志で計画を立て、行動している。誰かにすがりつき、救われることよりも、彼女は自分で自分の運命を決めることを選ぶ。しかし二人の行動の真相を突き止め、枷島に隠された災いの源をあぶり出すには……小白、これからは、陰陽分離の術で過去を見るだけではすまなくなる。」【小白】 「セイメイ様、それって……?」【晴明】 「覚悟しておいてくれ、小白。これから、幻境で本当の「禍津神」の宴を見届けることになる。」小白の顔色が変わる。【小白】 「「見届ける」?セイメイ様、それは疑似体験するということですか?枷島に来てから、小白はヒヤヒヤしっぱなしです……!セイメイ様——!」晴明は目を閉じ、再び霊符を発動した。二人は「禍津神の宴」が降臨する時に戻ってきた—— 激しく揺れる枷島で、無数の触手が裂け目の中から現れ、大地を引き裂いて「谷」を作る。晴明と小白が深淵に落ちる時、また少女の歌が聞こえた……またしても、「禍津神の宴」が枷島に降臨した。世刻みの命は何度も「禍津神」が引き起こした災難を生き延びてきた。それでも「主なき地」に入る時、彼は傷だらけになった。幸い、世刻みの命は白衣の少女、藤原綾子と再会することができた。だが今回、彼女は屍の山の上で人々のために祈りを捧げていた。彼女は禍津神に引き裂かれた「谷」を眺めている。そこでは、囚人たちが次々と谷底に落ちていく。世刻みの命は綾子のそばに来て、谷底でもがく囚人たちを眺める。その時、藤原綾子が歌い始めた。触手が歌に合わせて踊り出した。数人の目ざとい囚人たちが触手を掴み、触手に襲われる前に素早く谷底を出た。彼女の歌は、囚人たちにわずかな希望を与えた。世刻みの命は綾子の目的を見抜いた。【世刻みの命】 「彼らを……助けたいのか?」【藤原綾子】 「「お花畑」に行きたい。……みんなと一緒に。」世刻みの命は何も言わなかった。綾子が彼の想像以上の力を持っていることを、彼は悟った。綾子の歌声が響くと、枷島の血の海は上下に揺れながら、地下に流れていく。「禍津神の宴」は真夜中に収まった。世刻みの命と藤原綾子は高台の上に座り、ひどい有様になった枷島を見下ろしていた。その時、藤原綾子が口を開いた。世刻みの命の推測通り、枷島の場合、希望が「道」であるとは限らない。それが「人」であることもある。少し前に枷島に送られた少女、藤原綾子は淡々と闇の中に葬り去られた真実を語った。目的があって綾子に近づいた世刻みの命は、本当に希望を見見つけた。だが……全ては綾子の計画の一部なのかもしれない。【藤原綾子】 「世刻みの命、あなたに秘密を教えましょう。「枷島の中心に、出口があります。」特定の条件下でしか、出口は出現しません。私はそこに向かい、禍津神に会いに行きます。」綾子のほうを振り向くと、世刻みの命は彼女がいつの間にか優しい笑顔を浮かべていたことに気づいた。【世刻みの命】 「そこが……「お花畑」なのか?」【藤原綾子】 「そこで、私はお母様と再会します。世刻みの命、私はあなたを信じています。……手伝ってくれますか?」藤原綾子は口下手だが、世刻みの命に会った時、直感していた。彼ならば、彼女を、全員を連れて枷島から脱出できるかもしれない。しかし、本当に……全員を連れて行く必要があるだろうか?綾子の計画に手を貸すことになるかもしれないと気づいた世刻みの命は、打って変わって黙り込んだ。世刻みの命は、秘密を探るように綾子の青い瞳をまっすぐに見つめている。しかし、綾子はただただ静かに彼を見つめ返している。しばらくして、世刻みの命が口を開いた。【世刻みの命】 「綾子、それが枷島に来てからの、お前の一番の願いか?」【藤原綾子】 「願いと言うより、むしろ……「約束」と言うべきでしょう。お母様と約束したのです。どんな「痛み」でも、私は耐えてみせます。お母様には、島の中心でしか会えません。」綾子の母、彼女も藤原家の人間だ。世刻みの命はしばらく沈黙した後、こう聞いた。【世刻みの命】 「お前の母親は……どんな人なんだ?」「藤原家」を思い出して、世刻みの命は思わず眉をひそめた。藤原家のことは……どちらかと言うと嫌いだ。【世刻みの命】 「(藤原家は、権力を使うのに長けている一族だ。内部では派閥間の争いが後を絶たない。そして、藤原綾子の父——藤原良房は陰陽権助であり、当主藤原隆一の右腕でもある男。娘の綾子を、藤原隆一側に交渉材料として引き渡したのか?いや、それどころではないかもしれない。彼女は……恐ろしい禍津神の「器」になるのだから。)」世刻みの命は藤原綾子の運命に気づいていた。彼女は幼い頃から地下室に閉じ込められ、触手にいたぶられる日々を送っていた。いつか、眉ひとつ動かさずに全ての「痛み」に耐えられる日が来たら、彼女は一族が設置した「檻」に大人しく入る。それからは、「檻」の中で生き続ける。「檻」の外側にいる両親は、一体どんな役割を演じていたのだろうか?【藤原綾子】 「世刻みの命……?」耳元で藤原綾子の囁きが聞こえた。世刻みの命の顔色が険しくなるのを見て、何か気づいたように、綾子はくすっと笑う。【藤原綾子】 「世刻みの命が何を考えているのか、分かった気がします。」しばらく考えて、綾子は覚悟を決めた。【藤原綾子】 「……私の話を聞いてくれますか?」世刻みの命は一瞬戸惑ったが、少しして、彼は頷いた。綾子は初めて、他人に自分の話をする。辛かった過去を整理するために、ゆっくりと話す綾子の声に、世刻みの命はじっと耳を傾けていた。……まるでかつての綾子を彼自身の目で見ているのかと思うほど、真剣だった。だから、綾子も頑張って、たくさん話した。自分の全てを暴くようだったが、彼女は初めて満たされたと感じた。この世界には、まだ彼女を大切にしてくれる人がいる。……彼女の惨めな過去まで受け入れてくれる。綾子は、最初に父親のことを話した。【藤原綾子】 「お父様は陰陽権助に任命され、一族の中での評価も高かったようでした。でも、私はあの暗い部屋でしかお父様に会えませんでした。あの頃、お父様はよく会いに来てくれました。扉越しに、鋭い触手との接し方を教えてくれました。お父様は、いつも私に「厳しく」接していました。「最も聖潔な蕾だけが、彼の神に見初められる」と教えられました。聖潔な蕾は、血で育ちます。私は「痛み」に耐えることを……そして、「痛み」に慣れることを勉強しなければなりませんでした。それは分かっていたのですが。最初の頃は、我慢できずに弱音を吐きました。弱音を吐くと、お母様が会いに来てくれました。「綾子様のお母様は、綾子様を愛しているたった一人のお方です。」あの頃、侍女たちはみんなそう言っていました。お母様に会うことが、毎日の私の一番の願いでした。」藤原家の地下室—— 紗理奈が綾子のそばで、彼女の話を聞いている。【藤原綾子】 「お母様……今日もお父様を失望させてしまいました。言われた通りにできなかったせいでしょうか?それとも何かがうまくできていませんでしたか?お母様……「痛い」と言うのはいけないことですか……?」質問に答える代わりに、紗理奈は綾子をそっと抱きしめ、彼女の体から滲み出る血を拭いてくれた。【紗理奈】 「綾子は、よくやってるわ。だから、綺麗な「お花」をあげる。」綾子が外に出ることは滅多にない。故に、綺麗な「花」を見たことはほとんどない。紗理奈が真っ白な花を取り出した時、綾子は思わず息を呑んだ。彼女はあまりの喜びに、片時も消えなかった「痛み」さえも忘れた。【藤原綾子】 「あの時、私は初めて「籠夢花」を見ました。儚くて、綺麗な花でした。ありがとう、お母様。もう「痛く」ありません。これからはもう、「痛い」なんて言いません。代わりに、また「お花」をくれませんか?」【紗理奈】 「もちろんよ。」母が優しいため息をつく。【紗理奈】 「だから、綾子……もう少し……耐えられる?」母は消え入りそうな声で最後の言葉を綴った。綾子は何も聞こえなかったかのように、微笑んでいた。【藤原綾子】 「お母様はいつも私を可愛がってくれました。あれは、私の人生で一番幸せな日々でした。」そこまで話すと、藤原綾子は突然黙り込んだ。綾子の表情が暗くなったのを、世刻みの命は見逃さなかった。しばらくして、彼女はようやく勇気を出して続きを話してくれた。【藤原綾子】 「でも……幸せな日々はあまりにも短すぎました。お見舞いに来てくれた時、お母様はうっかり鋭い触手に触れて、何かに取り憑かれてしまったのかもしれません。お母様は重病にかかりました。お母様は医者として多くの人々を救ってきましたが、自分自身を救うことはできませんでした。それからの毎日は「苦痛」でした。お父様に与えられる「痛み」だけでなく、毎日自分を責める私自身にも苦しめられました。神様にも祈りました。お母様のためなら、死ぬまで痛みに耐え続けることになってもいいと。お母様が元気になってくれるなら。もう一度だけ、お見舞いに来てくれるなら。でも神様は、私の願いを聞いてくれませんでした。お母様の病は悪くなる一方でした。役に立てなくなったお母様は、お父様の恥になりました。亡くなる前に、お母様はお父様のそばを離れ、行方不明になりました。お母様が病にかかってから、私は一度もお母様に会えませんでした。それでも私は、お母様はまだ生きていると信じています。お母様がいなくなってから、お母様は枷島に行ったのだと……お父様がよく恍惚とした顔でつぶやいていました。私もそう思っています。お母様は私との約束を忘れたりしません。お母様は、私のために枷島に来たのです。私のために自らこの地に向かい、最後に「犠牲」になったのです。だから、私も枷島に逃げて来ました。ここに来た時、私はとても嬉しかった。私の直感は正しかった。お母様はこの島で、まだ生きています。」綾子は優しい笑顔を見せる。【藤原綾子】 「枷島のあちこちに、お母様の大好きな花、「籠夢花」が生えています。これはお母様の導きです。禍津神の触手に虐げられるたびに、お母様の声が聞こえます。お母様はいつも私に思い出させてくれます。まだ私たちの約束が果たされていないと。世刻みの命、私を連れて行ってください。……「お母様」のそばに。」あの日、世刻みの命は綾子の言葉に答えなかった。しかし、次の「禍津神の宴」が降臨する前に、世刻みの命は行動で答えを示した。あの夜、彼は声高らかに「脱獄」の計画を宣言し、枷島の囚人たちに希望を与えた。藤原綾子は、高台の影から全てを見ていた。彼女の目に狂いはなかった。世刻みの命は口では何も約束しなかったが、彼は言葉ではなく行動で示した。とはいえ、世刻みの命にも迷いはあった。なぜこんなことをするのかと、彼は何度も自問自答していた。なぜ綾子のために、枷島の囚人たちを助けようとしているのか。彼の善の一面が覚醒したのか?それとも綾子への憐れみか?あるいは、二人の運命が全く違うようで実はよく似ていると悟ったからか。檻に囚われる少女と「同類」になるとは、世刻みの命は思いもしなかった。藤原綾子は貴族の令嬢だが、化け物となる運命を押し付けられた。世刻みの命は正々堂々生きてきたが、結局全てを失ってしまった。二人は同じなのだ。一歩間違えれば、枷島の深淵に落ちてしまう。幸い、まだ間に合う。あの時、必ず藤原綾子を助けると、世刻みの命は心の中で誓った。しかし彼はすぐに考えを改めた。強い者は、守られる側では決してない。むしろいつか、彼自身が藤原綾子に助けられるかもしれない。 「脱獄の日」がとうとうやって来た。出発前、藤原綾子はまた片隅で籠夢花を見つけた。彼女は思わず足を止め、籠夢花をそっと撫でる。綺麗だ。枷島で懐かしい籠夢花を見かけるたびに、綾子は感慨を覚える。母が好きだったのも頷ける。花言葉は「犠牲」だが、「生まれ変わった」のかと思うほどに美しい。その花には人を虜にし、少しでも長く見ていたいと思わせる魅力がある。花に集中しすぎて、藤原綾子は世刻みの命が「主なき地」に来たことにも気づかなかった。声をかけずに、彼は静かに待ち続けた。藤原綾子はまだ籠夢花を撫でている。彼女は優しい笑顔を浮かべているが、それを見ると背筋がゾッとする。幸い、世刻みの命はそれにはもう慣れていた。【藤原綾子】 「あら、来ていたのですね。」藤原綾子が我に返ると、なぜか分からないが、籠夢花は消えてしまった。藤原綾子は立ち上がり、憂いを知らない少女のように、軽やかな足取りで世刻みの命に歩み寄る。もしかしたら、これが彼女のあるべき姿なのかもしれない。だが……世刻みの命は振り返ると、綾子が言う「籠夢花」に目を向けた。禍津神は欲望を利用して人を惑わす。世刻みの命は疑っていた。枷島で花を見かけた記憶は、数えるほどしかない。その瞬間、彼はようやく理解した—— ——それは枷島中で見かける、血のついた骨だった。前に進む藤原綾子は、いつものように優しい笑みを湛えている。【藤原綾子】 「お母様、待っていてください。もうすぐです……もうすぐ、「お花畑」で、再会できます。」 |
禍津神篇
禍津神篇ストーリー |
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闇へと誘われし者よ 生贄はどうか忘れなきよう ただただひたすらに 神の御座すほうへ 罪背負いし愚か者よ 消えゆく灯火に哀歌を ただただひたすらに 御許しへの道を 「島の中心」に続く道…… 透き通った歌声が枷島中に響き渡り、前に進む者たちを導いている。祈りの歌に応えるように、禍津神の心音が次第に大きくなり、人々の耳元で繰り返し響く。血なまぐさい通路に巣食う触手は、歌の力を恐れながらも蠢き続けている。一行は仕方なく息を殺し、歩を緩める……道行く先は、死のような静寂に包まれている。幸い、今はまだ皆無事だ。世刻みの命に続く一人の青年が、最初に異変に気づいた。彼は「禍津神の宴」で最初に世刻みの命に賛成した人物であり、以前枷島で世刻みの命を忌み嫌っていた人々のうちの一人でもある。牢獄に送られた大罪人たちはすぐに自分の仲間を見つける。枷島に足を踏み入れた時にはもう、世刻みの命はすでに人々の注目を集めていた。世刻みの命は他の大罪人と同じ残酷さや強さを持っていた。彼は間違いなく同類ではあったが……誰も世刻みの命には近づかなかった。なぜならば、世刻みの命は地獄のような「禍津神の宴」のたった一人の生存者だったからだ。彼の過去を、手腕を知る者はいない。それから、世刻みの命は枷島でただ一人の「一匹狼」となった。禍津神の欲望は日に日に増していき、「禍津神の宴」は過酷になっていった。しかし、世刻みの命は一人、枷島でうまく生き抜いていた。……それどころか、今は禍津神に対抗する力すら手に入れた。今、多くの囚人は世刻みの命に追随した。若い囚人たちの心はまだ折れていない。彼らは脱出を諦めていない。人々は松明を掲げながら禍津神の血肉でできた通路を歩き続ける。これは今まで一番長い道だった。少女の歌声が守ってくれるおかげで、全ては順調に進んでいる。揺らめく松明は人々のぼんやりとした影を長い通路に落とす。目の前にいる世刻みの命の姿まで、ぼんやりしているようだ。【囚人】 「待て……ぼやけてないか?」囚人は目を見開く。【囚人】 「……き、気のせいか?松明は世刻みの命を照らしているが…………なぜ影がないんだ?」囚人ははっとして周りを見渡す。周囲の人々は何も気づいていないのか、静かに前に進んでいる。囚人は真っ青になった。皆、松明に照らされているが……影は彼のものしかない!!!【囚人】 「くそっ!!禍津神の「罠」にはまった……いつからだ……一体いつからだ!?世刻みの命に騙された……世刻みの命だ!!」囚人は、藁にも縋る思いで目の前の「世刻みの命」に恐る恐る手を差し伸べる……だが、彼は吐き気を催すような、ぬめぬめとした何かしか掴めなかった。【囚人】 「これは世刻みの命じゃない……ち、違う……そもそも人間じゃない……!!」次の瞬間、肉壁から生えてきたぬめぬめとした触手が彼の喉を締め上げた……囚人の悲鳴は忽ち途絶えた。透き通った歌声だけが、枷島に響いている。枷島は、決して脱出できない「牢獄の島」。枷島は「迷宮」のような複雑な構造をしているが、ぴったりと合わさって人を閉じ込めることもできる。ここからは誰も脱出できない。枷島の「禍津神の宴」は、禍津神の膨らみ続ける欲望を満たすためのものに他ならない。その裏に隠されている秘密があるとすれば……世刻みの命の調査によれば、「禍津神の宴」は同時に藤原良房が秘密裏に進める「禁忌の実験」でもある。多くの囚人は「禍津神の宴」によって禍津神の餌食となり、禍津神と血を分け合い、その一部になった。全ては藤原良房の目的のため、禍津神を操るためだ。つまり、枷島の囚人は、全員生贄なのである。もしいつか、枷島で死ぬ定めを押し付けられた囚人たちが「希望」を見つけたならば、それは一つの証明に他ならない。「禁忌の実験」が完全に成功、あるいは完全に失敗した証明だ。前に進みながら、世刻みの命は物静かな少女、枷島の管轄者である藤原良房の娘に目を向ける。彼は二つの可能性を推測しているというよりも、藤原綾子の人柄を推測していた。【世刻みの命】 「彼女がもたらしたのは、果たして「希望」なのか、それとも「絶望」なのか?藤原綾子は本当に、優しいだけの少女なのか……?」そこまで考えて、世刻みの命は苦笑いを浮かべる。何度も禍津神から逃げてきたおかげで、彼は他の囚人よりも枷島の奥の決まりを理解している。確かに藤原綾子の歌には禍津神を慰める力がある。しかしこの問題は解決できない……奥に行けば行くほど、禍津神の「罠」に惑わされやすくなる。演説中、彼はこのことは伏せておいた。最後まで……藤原綾子は囚人たちにこのことを話さなかった。答えは明らかだ。世刻みの命は贅沢に一秒も費やした。心が決まると、彼は目の前にいる物静かな「藤原綾子」に刃を向けた。……彼らは「同類」だ。特定の状況下では、殺し合うことも厭わない「同類」。時を同じくして、別の通路…… 藤原綾子は冷静に手ぬぐいを取り出し、返り血を浴びた手を丁寧に拭いている。彼女の目の前にいる大柄な「世刻みの命」の首から血が噴き出し、そのまま倒れた。さっき、彼女は男を始末した。彼女を信頼し、頼りすぎたせいで、肝心な時に油断したこの男は…………本当の「世刻みの命」ではない。藤原綾子を眉をひそめ、地に倒れた「男」に目を向ける。禍津神の「罠」が解除されると同時に、それはへどろのような触手に変わった。綾子は、自分が世刻みの命や囚人たちとはぐれたことを察知していた。彼らは皆、それぞれの禍津神の「罠」に陥った。だがこれはむしろ好都合だ。これも彼女の計画の一部にすぎない。枷島に来れたのは……藤原綾子が父を、あの狂人を騙したからだ。父の支配から逃れるために、彼女は己を偽り、彼女の魂が耐えに耐え、この上ない「痛み」が十分にたまったと見せかけた。彼女はとっくに「痛み」を感じなくなっていた。しかし枷島にたどり着いた後、「痛み」を感じなくなった彼女は……「痛み」を求め続ける「禍津神」をどうやって満足させればいいのだろう?綾子の一番の願いは、もう一度母親に会うことだ。だから、たとえその代償が囚人たちの血肉や「痛み」だったとしても、彼女は意に介さない。彼らに与えられるはずの罰を、彼女は代わりに受けてきたから。今、相応の対価が支払われる。それだけだ。藤原綾子は考えるのをやめ、枷島の奥に向かう。今は禍津神の「罠」に入り込み、人々の「痛み」が頂点に達するのを、ただ待てばいい。そうすれば、また「お母様」の懐に帰れる。【藤原綾子】 「「お母様」は私を傷つけたりしません…………そうでしょう?」「綾子」を始末した世刻みの命もまた、枷島の奥に向かっていた。世刻みの命はとっくに気づいていた。禍津神が仕掛けた「罠」は、人々の心の奥に隠された「痛み」を見つけ出し、それを味わわせる。生き延びるたびに、世刻みの命は全てを取り戻し、そしてまた全てを失い、囚人になった。美しい思い出は全て踏み躙られたが、彼はやはり一人で枷島の奥に向かうことを選んだ。禍津神が世刻みの命の痛みを味わい尽くした頃、彼の願いは叶った。禍津神にとって……彼は味がしない人間になった。人一倍の「痛み」に耐え抜いたあと、今までよりも多くの息抜きの時間を手に入れた彼は、枷島に隠された手がかりを探すことができた。ただ今回、禍津神は彼に難解な問題を出した。【世刻みの命】 「遠くから聞こえてくるのは……囚人たちの悲鳴か?だが……俺が連れてきた囚人たちの声ではないようだ。」枷島の肉壁は蠢き続けている。禍津神が力を解放するにつれ、全てが変化していく。囚人たちの悲鳴が遠のいていく……まるで彼にここに入るように誘導しているようだ。禍津神は新しい「罠」を仕掛けた。世刻みの命は、再び罠に足を踏み入れる。枷島の近く、藤原良房の別荘の地下、暗い廊下……世刻みの命は、果てが見えない暗い廊下を観察している。ここは血なまぐさい匂いがするが、妙に綺麗に掃除されている。両側にある部屋から、囚人たちの悲鳴が聞こえる。【世刻みの命】 「ここは……藤原良房の隠し部屋か?枷島の奥を何度も調べたが、やっと真相を見つけられたのか?」廊下の突き当たりにある屏風から物音がした。世刻みの命は曲がり角を曲がり、闇の中に隠れた。暗い屏風の後ろから一人の男が現れた。白い服を羽織った温厚そうなその男こそが、藤原家の当主である藤原隆一の弟……藤原良房だ。陰陽権助でもある男は信頼され、ここ数年は当主の代わりに枷島を管理していた。また優れた医者でもあるため、彼は一族の皆にも支持されていた。今、片手に灯りを掲げ、片手に分厚い手帳を持った男は、地獄のような光景が見えないようだ。花園を散策するかのように、優雅に歩いている。よく見れば、笑みを絶やさないその男は、少し興奮していた。しかし男はすぐに興醒めした。痛みに耐えきれない囚人たちの悲鳴が聞こえると、藤原良房は部屋の前に立ち止まり、手帳をめくり始める。男は手帳をぱらぱらとめくっていく……全て不合格だ。藤原良房は一瞬顔色を変えたが、すぐにまたいつもの表情に戻った。【世刻みの命】 「藤原良房の手帳には、いたぶられる囚人たちの変化が記録されているのか?あれだけ分厚い手帳……一体何人の命を……はは、これが「医術」に心を奪われた男か。」世刻みの命が心の中で非難すると同時に、藤原良房がため息をつく。彼は慣れた手付きで指を鳴らした。すると黒い何かが屏風の後ろから現れ、てきぱきと動き出した。しばらくして、囚人たちが次々と部屋の外に運ばれていった。囚人の多くは体の一部を失い、虫の息になっている。部屋の中から流れてくる血が廊下で落ち合い、血溜まりを作っていく。次の瞬間、部屋の中から湧いてきた触手が血溜まりの血を一滴残さず啜り、廊下は再び綺麗になった。【世刻みの命】 「……おぞましい光景だ。」藤原良房は触手の隙間を縫うように進み、廊下の突き当たりにある部屋に向かう。その時、藤原良房の表情が和らいだ。最後の部屋に住んでいるのは、藤原綾子だった。【藤原良房】 「綾子、すまない。遅くなった。まだ痛いか?……綾子?」暗い部屋の中、傷だらけの綾子は辛そうに頭を上げ、小さな窓越しに父の笑顔を見上げる。【藤原綾子】 「お父様、来てくださってありがとうございます。もう痛くありません。」【藤原良房】 「綾子には辛い思いをさせたな。だが全ては綾子を最も聖潔で完璧な「蕾」にするためだ。綾子は「籠夢花」が大好きだろう?」籠夢花。花言葉が「犠牲」のその花は……牢獄の中で鮮血を啜って育つ、夢幻の花だ。母が一番好きな花でもある。藤原綾子は、くすっと笑った。」【藤原綾子】 「お父様、今日は私、ちゃんとできましたか?」藤原良房は手帳を一瞥し、わずかに眉をひそめた。仕事に真面目で厳しい男は、娘を不憫に思いながらも、本当のことを告げる。【藤原良房】 「あと少しだ。」藤原綾子は躊躇なく頷いた。【藤原綾子】 「ええ、続けましょう。私は耐えます、全ての「痛み」に。お母様がくれた「籠夢花」のことを、お父様が覚えていてくださる限り。……もう一度、お母様に会えませんか?」それは叶えられない要望だ。【藤原良房】 「綾子、前にも言ったはずだ。紗理奈は重い病にかかった。人に会うことはできない。だが、綾子が「完璧」になれば、紗理奈に会えるかもしれない。」妻や娘を大切に思う藤原良房は、綾子に本当のことを教えた……本当なのは、一部だけだが。【藤原綾子】 「わかりました、お父様。」藤原綾子は静かに頷く。次の瞬間、引き裂かれるような痛みが襲ってきた。綾子は再び大人しく目を閉じた。藤原良房は手帳を閉じ、綾子を称賛するように、窓越しに優しい眼差しを投げかける。綾子は自慢の娘であり、彼の最高傑作だ。綾子を暗い部屋に隠したのは……完璧な「蕾」が汚されるのを防ぐためだった。「藤原綾子」は「禁忌の実験」の最大の受益者となる。彼女は藤原良房の代わりに、一族の栄光を継ぐ。これは綾子の母よりも、さらに偉大で密かな愛なのではないか?だから、藤原良房はこれは恥ずべき行いなどではないと思っている。彼は満足し、窓を閉めた。次の瞬間、無数の触手が操られ、背後から藤原良房に襲いかかる……闇の中から声がする。【世刻みの命】 「……くずめ。」目の前で起きたことは禍津神が見せた幻にすぎないと知りながらも、世刻みの命は我慢できずに手を出した。それは善人気取りの男に罰を与えるためかもしれないが、同時にある目的のためでもあった。……藤原良房から枷島手帳を奪うためだ。数頁でもかまわない。時を同じくして、別の通路……藤原綾子は一人で枷島の「中心」に向かっていた。奥に行けば行くほど、寂れた景色が広がっている。あの触手でさえ、何かを恐れているのか、やけに大人しい。だが藤原綾子は、感嘆せざるを得なかった。【藤原綾子】 「ここはすごく温かい……まるでお母様の懐に戻ったみたい。」ぬくもりに触れた彼女は一瞬戸惑い、ここが禍津神の「罠」なのか、それとも本当の「島の中心」なのか分からなくなった。枷島の血の川が流れる荒廃した大地に、綾子は禍津神の血でできた木を見つけた。禍津神の血の木の上には、開いていない「籠夢花」がある。【藤原綾子】 「もうすぐですか?お母様……」綾子のつぶやきに応えるように、足元の血の川が逆巻く。枷島を吹き抜ける風が、優しい歌を運んできた。それは囚人たちのために歌う、綾子の祈りの歌だ。そして暗い部屋に囚われた綾子が、お母様に教わった歌でもある。綾子は胸にそっと手を当てると、目を閉じて歌い始めた。風が枷島を吹き抜けていく。禍津神の血の木の上の「籠夢花」は、咲いてくれなかった。藤原綾子は思わず、花に向かって歩き出した。その時、無数の触手が地下から姿を現し、すぐさま綾子を拘束した。【藤原綾子】 「なぜ……止めるのです?なぜ……拒むのです?」触手に拘束された藤原綾子は足を止め、かろうじて息をしながら、懐かしい「痛み」を感じている。彼女の体は痛みには慣れているはずだが、今度の「痛み」は、今までと比べられないほど強烈なものだった。綾子は忽ち血まみれになった。その時、藤原綾子は悟った。【藤原綾子】 「「お母様」が私を呼んでいるのですか?お母様も……私に「痛み」に耐えてほしいのですか?私にずっと耐え続けてほしいのですか?お母様が……そう願うなら……耐えてみせます、お母様。」もう一度お母様に会えると思うと、藤原綾子はなんとか静かに痛みに耐えることができた。次の瞬間、藤原綾子の華奢な体は触手によって禍津神の血の木に吊るし上げられた。閉じている「籠夢花」は手を伸ばせば届きそうなところにあるが、決して届かない。藤原綾子は花をじっと見つめる。彼女は見落としていた……籠夢花の下、血の木の近くに小さな墓碑があることを。「藤原綾子の墓」……そこにはこう刻まれていた。 一方、禍津神の「罠」の中……暗い廊下で、世刻みの命は数本の触手を利用して「藤原良房」の幻影を襲い、枷島手帳の一部を奪った。しかしその行動は、罠を仕掛けた禍津神を怒らせた。一瞬にして、藤原良房の幻影は消えた。代わりに、廊下に続く廊下、無限に広がる廊下が出現した。世刻みの命は禍津神が用意した「謎」に閉じ込められた。禍津神は彼の「痛み」を味わい尽くしたが、今、禍津神は別の方法で彼を痛めつけ、新たな「痛み」を与えようとしている。絶望の底に突き落とされた世刻みの命は、あてもなく扉を開き、出口を探すしかない。だが、その前に……彼は部屋の中で枷島手帳を読むことにした。一つ目の手帳は、手紙だった。 「枷島手帳・一」 藤原良房へ 枷島は昔、藤原家が「古の災い」を封印した地であり、後に監獄が設置された。 良房、我が弟よ、私はお前が優れた才能を持っていると、お前には医術を極める決心があると知っている。災いの力の研究において、お前の右に出る者はいない。 先日の会議で、「代わりに枷島を管轄する」という提案を出したことには驚いた。だが同時に嬉しく思う。 言うまでもなく、お前は初めて「禍津神」を支配下に置く者となる。 先駆者の道には常に「犠牲」が伴う。だが、お前の功績は末永く伝わっていくだろう。私の命令により、最初の死刑囚たちは枷島に送られた。枷島での最初な飼育に使うがいい。 お前が秘密と混沌の地で使命を果たし、私に永遠の栄光をもたらすことを願っている。 藤原隆一より。【世刻みの命】 「黄ばんだ手紙だが、状態が悪くないことを考えると、きっと大切にされてきたのだろう。藤原良房は兄であり、当主でもある藤原隆一を尊敬しているはずだ。しかし…………藤原良房が己の意志で枷島に来ていたとは、予想外だな。出世することを諦め、家族を連れて地獄のような島に引っ越し、禍津神と共に余生を送るとは。一体何が彼を突き動かしている?」廊下で「藤原良房」に出会った時のことを振り返ると、笑顔を浮かべる時、穏やかな男は純粋な喜びを噛み締めていた。【世刻みの命】 「全ては……「禍津神」の研究のためか?」世刻みの命は徐ろに頭を横に振った。彼は二つ目の手帳を読み始める。それは差出人が藤原良房の手紙だった。 「枷島手帳・二」 藤原隆一へ 兄様、お久しぶりです。 研究がうまくいったので、ご報告させていただきます。兄様には何百回も死刑囚を送って頂き、誠にありがとうございます。囚人たちは私が住む古屋敷の地下室に収監されています。 飼育と調教を繰り返すうち、なんとか禍津神の触手を手懐けることに成功しました。 研究は予定よりも早く進み、成果を上げました。 あの時、私が代わりに枷島を管轄すると申し出たことは、正しかったようです。とはいえ、この程度の成果に満足する私たちではありません。 先日、禍津神の血を慎み深く採取してみましたが、予想通りにはいきませんでした。 研究は一度手詰まりになりましたが……幸い枷島の近くで謎の術師に出会いました。 あれほど男を惹きつける女は見たことがありません。彼女の銀髪までもが、人を虜にする力を持っています。そして何よりも、彼女は私の研究を理解してくれ、禁術に詳しく、啓発まで与えてくれました…… 彼女はこの世で最も完璧な存在……「美しい魔女」様です…… (藤原良房の字が震えている) とにかく、全てが好転しています。近々いいお知らせができるでしょう。 私が秘密と混沌の地で使命を果たし、兄様に永遠の栄光をもたらすことができますように。 藤原良房より【世刻みの命】 「この手紙には何度か手を加えた痕跡があるな。藤原良房が出した手紙の下書きなのかもしれない。藤原良房の野望が伺える。最初の成果に満足せず、彼はより危険な研究を始めた。最初はまだいくらか理性が残っていて、災いを招かないようにしていたようだが。ある時から変化が起きたか……」世刻みの命は眉をひそめる。【世刻みの命】 「禁術に詳しい「美しい魔女」が現れてからか?」世刻みの命は戸惑った。平安京にいた頃、そんな名前は聞いたことがなかった。世刻みの命は三つ目の手札を読むことにした。しかしそれを目にした彼は、驚きを隠せなかった。それはもはや手紙とは言えない紙切れだった。字が乱れていることを鑑みれば、藤原良房はすでに……精神の均衡を保てなくなっていたようだ。それはちぐはぐな告白ようだった。 「枷島手帳・三」 私の研究によって、無数の囚人が禍津神に捧げられました。 地下室に入ったことはないけれども、私の魂はそこを彷徨っているに違いない。もう後戻りできません。 しかし、兄様、何よりも……私は研究がこれ以上進まなかったことにがっかりしています。 あれだけの実験を行い、あれだけの命を踏みにじったのに、成果が出ませんでした。その時、禁術に詳しい「美しい魔女」様がまた姿を現しました。 「最も聖潔な蕾だけが、彼の神に見初められる」と、彼女は私に告げました。 眠れない夜を過ごしてきましたが、私は最後にもう一度だけ美しい魔女様を、彼女が言う神を信じることにしました。 兄様、この罪は重すぎて、兄様に言うことすら憚られます。私は私の家族を……禍津神に捧げます。 優しい妻を、そして「生まれていない」娘を! (後半の字は激しく乱れている) もはや、選択の余地はありません。兄様、私は奇跡が起こるのを見届けたいのです。 ですがそれは、生涯私に付き纏う「呪い」だということも知っています。 枷島の研究が順調に進めば、罪のない妻と娘に…… 一族を辱めたことを、神を冒涜したことを謝罪します。私が秘密と混沌の地で使命を果たすことができますように。 (ここで文字は止まり、幾つかシミができている) 私がした全てが…… 兄様に永遠の栄光をもたらすことができますように。【世刻みの命】 「奪った枷島手帳は……これで全部か。これ以外は、狂気に満ちた片言しか書かれていない。それでも、綾子が教えてくれたことと照らし合わせれば、藤原良房がどのように残りの人生を過ごしたのかは想像できる。この後、藤原良房は枷島の研究にますます夢中になり、次第に正気を保てなくなっていった。紗理奈を失った彼は、精神がおかしくなり、やがて壊れてしまった。彼の兄藤原隆一は躊躇なく彼の職を免じた。……同時に藤原良房から兵の指揮権を取り上げた。枷島はすぐに新たな管理者を迎えた。その後、彼は藤原隆一の部下に連れ去られた。時を同じくして、綾子は混乱に乗じて屋敷を脱出した。濡れ衣を着せられても、恐ろしい罰を与えられても、彼女は父のそばを離れ、やがて枷島にたどり着いた。藤原良房は優しい妻を、生涯をかけた研究を失った末に、完璧な娘まで失った……彼は徹底的に狂気に囚われた。……最後に彼は、自ら命を絶った。想定内ではあるが、嘆かわしい結末だ。希望も誉れも掴めなかった。彼の存在そのものが否定された。この世界では悲劇が次々に生まれているが、彼の物語が人に知られることはない。……藤原良房。」世刻みの命がため息をつく。重苦しい雰囲気が漂う地下室の中、なぜだか分からないが、世刻みの命は何かを見落としたような気がしていた。彼は手元の枷島手帳を読み返し、やっと手紙の日付を見つけた。【世刻みの命】 「藤原良房がこの手紙を書いた頃、藤原綾子は一歳になっていたはずだ。」世刻みの命の手が震える。【世刻みの命】 「「生まれていない」娘……どうして藤原良房はこんなことを書いたんだ?藤原良房はまだ何か隠しているのか?禁術に詳しい「美しい魔女」に、一体何を教わった?枷島の囚人たちを実験台にしたこと以外にも……まさか彼の本当の、そして最大の罪は……」世刻みの命は悟った。禍津神が出した問題の答えが分かった。禍津神は彼を利用して、枷島で彼に最も近い仲間、藤原綾子の心の奥に隠された最大の「苦痛」を暴くつもりだった。世刻みの命が綾子の誕生の秘密を解き明かすことを、禍津神は望んでいる。それは枷島で、最も恐ろしい真実だ。彼も綾子も禍津神の「罠」に陥り、禍津神に翻弄されている。」【世刻みの命】 「違う……違う。ここが幻境ならば、まだ間に合うはずだ……まだ間に合う!」世刻みの命は立ち上がり、地下室の扉を開けた。闇の中、世刻みの命は果てが見えない廊下を走り、「最後」の部屋を探す。扉を開くたびに、禍津神の心臓の鼓動が聞こえる気がする。ドク……ドク……ドクドク……近い。そこだ!ドクン……!最後の部屋の扉が開かれた。同時に、禍津神の血の木に吊るし上げられた藤原綾子が目を開ける。【藤原綾子】 「……気のせいでしょうか?木が大きくなったような気がします。どうやら囚人たちが、頑張ってくれたようですね。やはりお父様の言った通りです。「聖潔な蕾は、血によって育てられる」。みなさん、もう少し「痛み」に耐えてください。私は……まだ「降臨」の準備が終わっていません。私の物語は、まだ完全に明かされていませんから。残念なことに……禍津神は私と世刻みの命を引き離しました。もう誰も、私に耳を貸してくれないでしょう?」禍津神の血の木の上の「籠夢花」が、彼女に応えるように風に揺れている。【藤原綾子】 「……「籠夢花」?」藤原綾子が無邪気な子供のように微笑む。【藤原綾子】 「綺麗な「籠夢花」に聞かせてあげましょう。私の……最後の物語を。これは、私とお母様の物語です。一度だけ……お母様と一緒に「お花畑」に行ったことがあります。その日は、私はお母様の「秘密」を知った日でもあります。日差しが良くて、珍しく晴れ渡っていました。その日、お父様が厳しく指導してくださったおかげで、私は初めて長く、強烈な「痛み」を味わいました。お父様もお母様も、喜んでいました。ご褒美として、お母様は私がずっと願っていたことを叶えてくれました。外に連れ出してくれたのです。あの時、傷だらけの私はへとへとだったけれど、それでもなんとかお母様と屋敷を抜け出しました。そういえば、ずっと藤原家の古い屋敷に住んでいたけれど、外にある真っ白な籠夢花の花畑を見たのは、あの時が初めてでした。私にとって、美しい花畑は美しい世界そのものでした。突然涙が溢れてきました。お母様はびっくりしていましたが、涙は止まりませんでした。お花があまりにも綺麗だからと、私はお母様に説明しました。この歳になって、初めて外に出て、初めてお花畑を見たのです。あの時、お母様は私を抱きしめて、慰めてくれました。「この子ったら。これから私たちは、一緒にお花畑に行くのよ」と言って。ごめんなさい、お母様。私は嘘をつきました。涙を流したのは、籠夢花が美しかったからではありません。日が差した時、私は薄絹越しに見たのです。お母様の体にも、私と同じ傷跡があるのを。お母様は、そのことをずっと私に隠していました。だから私も同じようにしたのです。毎日普通の人間なら耐えられないような痛みに耐え続けてきましたが、私は一度もお母様に聞いたりしませんでした。私が苦しんでいる姿を、私が我慢している姿を見たのに、どうして私を可愛がってくださるお母様まで……お父様と同じ表情をするのですか?嬉しそうなお母様を見るたびに、私は苦痛に苛まれました。あの日、暖かい日差しが私たちの傷跡に降り注ぎました。その瞬間、疑問が解けました。お母様……どうして教えてくれなかったのですか……私たちは最初から、同じ運命を背負っているのだと。」禍津神の血の木に吊るし上げられていても、藤原綾子は慈悲に満ちた笑顔を絶やさなかった。なぜかは分からないが、禍津神の触手は彼女をよりきつく締め上げていく。呼吸はできているものの、綾子の声はだんだん弱々しくなっていく。それでも、彼女は母との最後の物語を語るのを諦めなかった。【藤原綾子】 「お母様は私を責めているのですか。どうして今まで……お母様に言わなかったのか。」私はずっと……あることに悩んでいたのです。【藤原綾子】 「「綾子様のお母様は、綾子様を愛しているたった一人のお方です」と、みんなが言っていました。でも……お母様……お母様が見ていたのは、「私」ではないのではありませんか?お母様、私を愛しているのなら、どうして「私」を見てくれないのですか?」地下室にいる彼女に、母である紗理奈が手を差し伸べる光景を思い出す。その手は優しく……同時に震えていた。母は我慢しているようだ……彼女への拒否感を、彼女への恐怖を。もう一度母に会いたいと、綾子は切に望んでいた。彼女はただ答えがほしいだけなのかもしれない。ずっと彼女を悩ませてきたことの答えが。しかし、禍津神の触手は思案に耽る綾子を現実に引き戻した。凶暴化した触手は、次の瞬間にも綾子を絞め殺しかねない。綾子の表情に珍しく変化が見えた。【藤原綾子】 「禍津神の触手が凶暴化した……まるで誰かをいたぶっているみたい。」綾子が戸惑う。【藤原綾子】 「……世刻みの命?」禍津神の「罠」……最後の部屋で、世刻みの命は一生忘れられないような、おぞましい光景を見た。彼は綾子の母、紗理奈を見つけた。優しい妻であり、母でもある女は……触手にいたぶられ、無惨な姿なっていた。大いに怒った禍津神は、世刻みの命の力を、彼の「札」を、彼の全てを制限していた。今の彼には、脆弱な肉体しか与えられていない。とはいえ、もし今、綾子が禍津神の「罠」に入れば……彼女は見てしまう。母が同じ部屋で吊るし上げられ、いたぶられている姿を。触手が母の体内に入り込み、その体を引き裂くのを。……そして触手が新たな「命」を彼女の体内に植え付けるのを。その光景は残酷過ぎる……そんな世界は残酷過ぎる。なぜ彼女たちはこんなことに耐えなければならない?なぜ、罪の無い、健気に生きる者たちが、こんな「痛み」に耐えなければならない?この世界は、不公平すぎる。世刻みの命は昔、身をもってそれを知った。しかし再びそれを知ることになるとは、思ってもいなかった。世刻みの命は綾子の母を庇い、痛みに耐えた。無数の触手が、狂ったように彼を痛めつけている。【世刻みの命】 「綾子にこんな光景を見せるわけにはいかない。」血まみれになった世刻みの命が、歯を食いしばって言葉を振り絞る。【世刻みの命】 「生まれながらにして…………「不公平」を押し付けられるのは間違っている。」「禍津神の宴」の時と同じだ。彼は歯を食いしばり、意思の力でなんとか耐えている。だが今、遊ぶことに飽きた禍津神は彼を殺そうとしている。世刻みの命の意識が遠のいていく。最後に「痛み」に耐え続ける彼には残ったのは、本能だけだった。それでも彼は倒れなかった。綾子の手を掴んで危険な道を抜ける時と同じように、彼は綾子の母の手を力強く掴んでいた。【世刻みの命】 「恐れるな。俺が守る。」それは紗理奈の幻影にすぎなかったが、世刻みの命はなんとか笑顔を作った。【世刻みの命】 「……俺たちは「同類」なんだ。」殺し合う「同類」であり……助け合う「同類」。【世刻みの命】 「だが……お前たちのために、俺に一体何ができる?綾子、お前の母親の「痛み」を肩代わりしたぞ……これだけしか肩代わりできなかったが……」全てを失った囚人のように、世刻みの命は倒れた。その時、聖なる光が暗い部屋に差し込んだ。【藤原綾子】 「もう十分です……世刻みの命。」綾子の声が、懐かしい暗い部屋に響く。最後に、彼女は触手が世刻みの命をいたぶっていることを感じ取った。遠くから、少女の聖なる歌声が届く。一瞬にして、歌声は遥かな距離を飛び越えた。傷だらけの世刻みの命が、やっとの思いで目を開ける。島の中心で吊るし上げられた綾子は、彼に微笑みかけながら、彼を待っている。同じように痛みに耐えている綾子だが……彼女は歌声で世刻みの命を助け、禍津神が見せる幻を引き裂いた。彼女が長い間暮らしていた部屋は、幻の中で崩れ去った。藤原綾子は、世刻みの命を救った。この時、枷島に巣食う「禍津神」は、かつてないほど大人しくなった。時を同じくして、運良く生き残った囚人たちは好機を逃さずに島の中心になだれ込んだ。島の中心には禍津神の気配はまるでなく、ただただ静寂に支配されていた。見上げれば、唯一の出口が見える。人々が歓喜した時……「禍津神」が檻から解き放たれ、この世に降臨した。「禍津神」の囁きに惑わされた囚人たちは、唸り声を上げて残虐な殺し合いに身を投じる。一瞬にして、島の中心は見るに堪えない地獄に変えられた。人混みの中、世刻みの命はただじっと立っていた。彼の目には降臨した「禍津神」は映らなかった。まだ頭が幻の影響を受けているのかもしれない。彼が見たのは……綾子の母、紗理奈だった。布切れに巻かれた赤子を抱える紗理奈は、禍津神の血の木に向かっていく。世刻みの命が彼女を追おうとした時、藤原綾子が彼に向き直った。出会った時のように、彼女は世刻みの命に何かを言おうとしている。口の動きを見るに……「心配しないで」と言っているようだ。綾子はまたいつものように、慈悲に満ちた笑顔を浮かべる。【藤原綾子】 「心配しないで。全部分かっていますから。やっと分かったんです。私は最初から、藤原良房の娘ではありませんでした。私は「禍津神」と結ばれたお母様が産んだ子供です。」真実を知った綾子はいつものように微笑み、母を待っている。母、紗理奈が「藤原綾子」にゆっくりと近寄ってくる。本当の「藤原綾子」は、禍津神の血の木の下に葬られた。吊るし上げられた「藤原綾子」は、禍津神が生み出した怪物にすぎない。木の下に佇んでいた母は、やがて身を屈めた。綾子はじっと見ている。腐った肉の塊にすぎない「赤子」を優しく撫でる母を。母は「綾子」のために己の意志で枷島に来た。最期を迎えた時、彼女は自分の願いを叶えるために、本当の子供を血の木の下に葬った。自ら禍津神と一つになった彼女は、禍津神の体内にいる子供の魂に会おうとした。しかし、降臨の儀式は失敗に終わった。魂だけの存在になっても、綾子の母は禍津神の体内で「綾子」に呼びかけ続けている。母はとっくに……本当の「綾子」が分からなくなっていた。すぐそばにいるのに……優しくて芯が強いお母様は、手の届かない存在だった。藤原綾子は初めて触手を振り解こうとした。何年も経って初めて、彼女は再び「痛み」を、真の「苦痛」を感じた。綾子には、言いたいことがたくさんある。【藤原綾子】 「お母様……もう一度お母様の優しい声を聞かせてください。お母様に会えるなら、全てを犠牲にしても構いません。お母様との約束を果たしたいのです。お母様に許してほしいのです。今日私は……お母様に本当に「愛されたい」のです。」しかし紗理奈の幻影が綾子に応えることはなかった。彼女は静かに振り返る。体が徐々に膨らみ……歪んでいった。血と死体でいっぱいの場所で、枷島の花が咲き誇った。 「禍津神」が降臨した。 藤原綾子が下を向く。触手に拘束されている彼女は、禍津神の体内にいる母の魂が消えていないことを感じ取った。これが彼女が母のためにできる、最後のことだろう。綾子は賭けることに決めた。綾子が優しい笑顔を浮かべる。【藤原綾子】 「「お母様」、彼らを連れてきました。お母様との……約束ですから。お母様を解放します。お母様を自由にします。例え……私の人生を捧げることになっても。お母様……私が「痛い」と叫んだら……昔のように抱きしめてくれますか?」藤原綾子は目を閉じる。とうとうこの時が来た。彼女は自分の体を使って、「禍津神」を迎え入れると決めた。【藤原綾子】 「本当は私、知っていました……お母様。私たちが行く場所は、お花畑なんかじゃないって。私たちに押し付けられたことは全て、最初から間違っていました。これが最後です、お母様。最後にお母様を、そして私を自由にします。災禍を……授けましょう。」禍津神の血の木に生える最後の「籠夢花」が、ついに咲いた。藤原綾子が聖なる祈りを捧げる。彼女の歌は禍津神を「慰める」ための歌ではなく。禍津神を「迎え入れる」ための歌だった。【藤原綾子】 「最後の宴の、幕開けです。」闇へと誘われし者よ 生贄はどうか忘れなきよう ただただひたすらに 神の御座すほうへ 罪背負いし愚か者よ 消えゆく灯火に哀歌を ただただひたすらに 御許しへの道を しばらくして、枷島の「中心」……【藤原綾子】 「……世刻みの命。私たちはもうすぐ、枷島を出るのですか?」【世刻みの命】 「俺は俺の復讐を、「運命の約束」を果たさなければならない。綾子……一緒に来てくれるか?」綾子は何も言わずに、静かに世刻みの命の肩に頭を乗せ、眠る体勢になった。「禍津神」が綾子の体を利用して降臨した後、彼女はなんとか自我を取り戻した。それでも、たまに「禍津神」に乗っ取られることがある。だから普段は、そばに世刻みの命がいれば、彼女は一時の平和を手に入れるために眠りにつく。前進する中で、世刻みの命は突然足を止めた。彼が立ち止まったのは、「禍津神」と藤原綾子が一つになった場所だ。彼の足元には、花が落ちている。世刻みの命がその花を拾う。彼は初めて枷島でこの花を見つけた。【世刻みの命】 「……綾子。」世刻みの命が綾子を呼び起こし、花を持った手を開く。【世刻みの命】 「これが本当の「籠夢花」か?」世刻みの命の手のひらには、真っ白な花があった。儚い色の花は、綾子が初めて見たあの花と同じだった。【世刻みの命】 「綺麗だ。お前の母親の言う通りだ。」世刻みの命は真剣に、綾子に何かを伝えようとしている。綾子の母が……本当に綾子を愛していたのだと、伝えたいのかもしれない。綾子は安らかな笑顔を浮かべる。最後の時、母は彼女のことを思い出した。最後の最後で、母はただ一つの、最後の約束を守ってくれた。【藤原綾子】 「これが本当の「籠夢花」。」綾子は遠くを眺める。【藤原綾子】 「お母様……ありがとう。やっと辿り着きました……私の心が望んだ場所に。」 |
残響篇
残響篇ストーリー |
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最後の陰陽分離の術を設置すると、晴明と小白の目の前に広がっていた恐ろしい景色は消え去り、周囲は再び静けさに包まれた。やがて、幻は真っ白な花に姿を変え、晴明の手のひらに舞い落ちた。【晴明】 「これは籠夢花か?幻境で見たものとは少し違うようだが。」しばらく思いをめぐらせてから、晴明は花を大切にしまった。【小白】 「綾子様が禍津神の子供だなんて……!しかも綾子様のお母様は禍津神と……藤原良房という男は人でなしです!」【晴明】 「前々から藤原綾子の出自を推測してはいたが、真相は推測よりも恐ろしいものだった。藤原良房が自害し、藤原隆一が病死したことで終わったとはいえ、まだ多くの謎が残っている……今は、枷島に降りかかる災いを解決するのが先決だが。」陰陽分離の術を全て設置した二人は、幻境を出た。しかし二人を迎え入れたのは、別の地獄だった。壊れた幻境が放つ眩しい光を浴びて、晴明の視界は未だにぼやけている。最初に目にしたのは、果てしない闇だった。闇の中には、歪んだ白いものが幾つか見える。それから、黒と白はそれぞれ真っ黒な海と白い津波に姿を変えた。嵐が、闇が、世界の果てにある孤島に襲いかかる。黒い雨が瀑布の如く空から降ってくる。全てが昏き色に染まり、空と大地の区別が曖昧になっている。【晴明】 「危ない!」【小白】 「わあ!」嵐が襲ってきた時、すぐに結界を展開したおかげで、晴明と小白はなんとか海に落ちずに済んだ。枷島を中心に、嵐は回転しながら、全てを引き裂かんと勢いを増している。島の全て、木々や岩石、牢獄、港の船、何もかもが風に巻き込まれ、忽ち木っ端微塵なる。そしてその残骸が、花びらのように空に巻き上げられていく。【晴明】 「まさか……遅かったか?「災いの嵐」はすでに降臨し、枷島は破壊されたのか?いや、違う……まだ災いの源が島にあるのを感じる。しかし藤原家の兵士たちが見当たらないな。術で信号を打ち上げるか。」晴明は五芒星の術を発動した。弱々しい光は空に届いたものの、忽ち闇の中に消えた。今の枷島は、溶炉の中で赤くなって震えている鉄のようだ。噴火寸前の火山のようでもある。だが、島には誰もいない。藤原家が陰陽師も武士たちも船も撤退させたのか、島はもぬけの殻だった。空と大地を繋ぎ、世界を分断した嵐しか見えない。【小白】 「セイメイ様……みなさん撤退されたのでしょうか?」【晴明】 「災いの力が拡散したせいで、枷島は嵐に巻き込まれた。船や屋敷をも破壊する嵐を前に、常人はもはや島に留まることすらできない。たとえ藤原家の兵士たちが撤退していなかったとしても、こんな強風の中では陣形を組むことすらできない。法陣を発動することなど、絶対に不可能だろう。来るのが遅すぎたか……」【小白】 「お〜い!誰かいませんか〜!誰か〜!」小白の声はすぐに逆巻く波にかき消された。晴明は再び五芒星を発動したが、やはり前回と同じように、闇の中に消えていった。灰は嵐に巻き込まれて空に舞い上がり、そしてまた雨と共に大地に降ってくる。人の世から遠く離れた島は、果てが見えない、無限に広がる闇に包まれている。晴明は最後の五芒星を発動した。幻境に長時間留まっていたせいで、陰陽分離の術の設置した時にはもう、彼は力を使い切っていた。闇夜の中、晴明は霊力を使い果たした。眠気に襲われ、意識が遠のいていく。まるでこの寂しい離島には、彼しかいないかのようだ。若い頃、よく聞いていた歌がまた聞こえてきた。【晴明】 「(またこの歌か……)」歌と共に、記憶の中にあった凛々しくも優しい女の声が蘇る。【???】 「晴明、あなたは生まれながらにして唯一無二の才能を持っている。けれどそれは逆に、仇となるかもしれない。時に、才能が優れている者ほど、大きな災いを招いてしまうもの。私は……あなたのそばにいることができない。だから、あなたが大きくなって都の有名な陰陽師になって、もし恐ろしい過ちを犯したのなら、私の言葉を思い出して。約束して、晴明。」【晴明】 「すまない、私は何度も約束を破った。」島の中心に長時間留まったせいかもしれない。優しい言葉は次第に彼に付き纏う恐ろしいつぶやきに変わり、彼を食い散らかそうとする。晴明は精神が弱まり、永遠に目覚められない悪夢に陥ったように感じる。その時、腰にある真っ白な羽根が聖なる光を放ち始め、彼の精神を守ってくれた。 「ぽきっ……」 「ぽきっ……ぽきっ……」 どのくらい経ったのだろう。闇の中から小さな物音が聞こえてくる。遠くから聞こえていた音が、次第にはっきり聞こえるようになっていく。大雨のせいで、彼にはその人物の姿がよく見えない。それでも、音はますますはっきりと聞こえてくる。 「キーン……」 骨を踏み壊した音のようだ。 「ぽきっ……」 肋骨が次々と折れていく音にも似ている。違う。 「キーン……ぽきっ…………」 琴の音だ。この前聞いた琴の音だ。琴の音が響くと、骨が折れ、踏みにじられる音がする。優雅な音だったはずだが、なぜ今はこんなにも恐ろしいのだろう?甲高い琴の音は、優雅さの欠片もない、地獄の音になった。まるで闇に潜む魔物に狙われたようで、思わず背筋が凍る。魔物が彼に手を差し伸べる。冷たい手に首を掴まれ、締め上げられていく感じがする。晴明の息が止まる。【晴明】 「……ケホッ……ゴホッ……」窒息しそうになった晴明はめまいを覚え、黒い霧に包まれたまま咳き込み始める。晴明はやっと問題に気づいた。この人物が自分の命を奪う死神ではなく、助けてくれる人であるはずだと、なぜそんな甘い考えを抱いているのだろう。 「……は、私が……」 完全に意識を失う前、相手が何か言ったのが聞こえた。どれほどの時間が経ったか、温かい気配を感じた。【晴明】 「誰だ……」相手は手袋を脱ぎ、彼の額に青白い手を当てる。【晴明】 「道長殿……?ゴホッ、何を?」【藤原道長】 「動かないで、私の霊力を受け取ってください。晴明殿は島の中心にいたせいで、災いの力に冒されてお体が弱まっています。」【小白】 「セイメイ様、ようやく目を覚まされましたか!心配していたんですよ!」【晴明】 「心配するな、私は……大丈夫だ。」さっき起きたことは、夢なのか?それとも災いの影響を受け、幻を見たのか?この時、晴明はようやく相手の姿をはっきりと見た。それは雨に濡れ、疲れた顔をした藤原道長だった。【晴明】 「嵐が来たのに、まだ島に残っていたのか?」【藤原道長】 「晴明殿を見捨てては、道理に反するでしょう?」嵐に巻き込まれた島は、やがて嵐の中心に入った。正気を取り戻した晴明が、道長の袖を掴んで疑問を口にする。【晴明】 「枷島は今どうなっている?」【藤原道長】 「島の中心は危険すぎるので、部下たちは海岸に向かわせました。藤原家の艦隊もそこにあります。ただ、島が嵐の中心になり、私たちは内側に、彼らは外側に隔絶されてしまっため、会うことはできません。」晴明は安堵の息を漏らす。【晴明】 「よかった。どれぐらい私たちを待っていたんだ?」【藤原道長】 「半月あまりです。」【晴明】 「半月あまりも?」【小白】 「幻境にいる間に、そんなに時間が過ぎたのですか?小白は一日も経っていないように感じたのですが……」【藤原道長】 「晴明殿が島の中心に入って間もなく、災いの力が噴出して島を嵐の中心にしました。だから部下たちを海岸に向かわせたのです。晴明殿がいつ戻ってこられるか分からなかったので、私は島の中心で待つことにしました。」【小白】 「つまり、道長様は雨ざらしになって、半月あまりも待っていてくださったのですか?」【藤原道長】 「これはなかなか無い体験でした。それに、晴明殿が危ない目に遭われたら、私はいてもたってもいられませんから。」休憩を経て、晴明はようやく回復した。彼は島の中心に漂う汚染に目を向け、続いて周囲で吹き荒ぶ強風のほうを向いた。【晴明】 「島の中心に陰陽分離の術を設置したが、たとえ災いの源を見つけても、今は倒す術もないかもしれない。嵐が激しすぎる。たとえ艦隊であっても、嵐に巻き込まれて木っ端微塵になるかもしれない。島の中心では異変が起き、強風が吹いている。その場に踏み止まることさえも難しいというのに、本当に力を合わせて災いの源を倒せるのだろうか。」【藤原道長】 「この嵐を利用してみてはどうでしょう。ついてきてください。枷島の頂きに向かいます。」船に立つ源頼光が、前方に広がる海を眺めている。嵐の中心となった枷島がどうなっているのか、外からは分からない。目に映るのは、巨大な竜巻だけだった。藤原家の艦隊は嵐の外側に停泊している。陰陽師たちは激しい風や波を防ぐ結界を展開し、かろうじて陣形を維持している。一方、源氏の先行部隊はより遠く安全な場所に隠れ、主の最後の命令を待っている。【源氏の陰陽師】 「源頼光様、先行部隊からの報告です。枷島の災いの力は限界に達しており、三刻以内に激変する見込みとのことです。また、先日陰陽寮に提出した申請ですが、午時に許可がおりました。」【源頼光】 「ほう?こうも簡単に許可を得られたか。面白い。陰陽寮の老いぼれどもも、どんな見世物があるのか期待しているようだな。ならば期待を裏切る訳にはいかない。命令だ、直ちに源氏の先行部隊を枷島に向かわせろ。全速前進、出撃だ!枷島は秘密の禁域ではあるが、藤原家の私有地ではない。賢者も千慮の一失。行くぞ、鬼切。抜刀の時だ。」二人は姿を隠す術を施された折り鶴に乗り、程なくして先行部隊と合流した。【鬼切】 「待て、この先に何やら異変が……枷島を覆う嵐の中から……妖魔が出てきた……?なんだか霧のような……妖魔なのか……違う、あれは……夜荒魂?」【源頼光】 「藤原家が厳島に封印した怪物か?」【鬼切】 「ああ。夜荒魂は藤原道綱に手懐けられたはずだが、枷島に現れるとは。それに、夜荒魂は一体ではないのか?このあたりの海域に、夜荒魂が何体も……!」【夜荒魂】 「……ぐああ……ぐあああ……」巨大な夜荒魂が海から頭を上げ、艦隊を呑み込む勢いで襲ってきた。鬼切はすかさず船首に走ったが、船長と船員はすでに倒れていた。次に駆けつけた源頼光はそれを見るなり、霊符を掲げた。【源頼光】 「久しぶりに一緒に戦うか?」【鬼切】 「ああ、久しぶりだな。言っておくが、剣の修行は続けていたからな。そっちこそ、刀は錆びていないだろうな?」【源頼光】 「錆びているかどうかは、やつらが身をもって知ることになる。」鬼切が剣気を集中させ、今にも船首を呑み込みそうな夜荒魂に攻撃を放つ。それと同時に、源頼光は霊符を飛ばして鬼切の剣気に術をかけ、剣気を数十に分裂させた。ほぼ一瞬にして、鋭さを増した剣気が船の周囲に隠れていた数体の夜荒魂に襲いかかった。【夜荒魂】 「うっ、ぐああ……!!!」悲鳴を上げる巨大な夜荒魂たちは闇の中で葬り去られ、海に沈んでいく。【鬼切】 「卑怯だぞ!」【源頼光】 「臨機応変と言ってくれ。」【鬼切】 「ならば次の戦場で勝負だ!」二人は船首から飛び降り、列をなす艦隊を足場にして前方に広がる闇に向かって進む。【鬼切】 「……これは!?」前方の海に集う無数の夜荒魂が、一斉に咆哮する。それは不気味な笑い声にも、憎悪に満ちた咆哮にも聞こえる。前線から目をやると、闇の中に無数の血色の瞳が浮かび上がった。夜荒魂の目だ。【鬼切】 「ここには……何千体もの夜荒魂が潜んでいるのか……!」【夜荒魂】 「うあ、ぐああ……うおお……ぐああ……」苦痛。肉体、精神、魂の苦痛。そして二度とあの人に会えない辛さに苛まれている。彼らは己の苦痛を百倍、千倍にして返す。夜荒魂の望みは、ただそれだけだ。【夜荒魂】 「ぐあああああ……あああ……」彼らこそが夜の支配者であり、夜に属さない全ては、滅ぼさなければならない。【鬼切】 「まずい、夜荒魂の様子がおかしい!速すぎる、術でもかけられているようだ。こうも簡単に囲まれるとは。」鬼切は船を飛び移りながら、水面に映る影を利用して周囲から襲ってくる夜荒魂の動きを把握する。何体もの夜荒魂が背後から二人に襲いかかったが、全て返り討ちにされた。二人は次々に襲ってくる夜荒魂を撃退しながら、最前線で海に潜っている鬼兵部の上に飛び降りた。目の前には、数え切れないほどの夜荒魂がいる。【鬼切】 「殺しても殺してもきりがない、このままでは埒が明かない。鬼兵部を出陣させるか?」【源頼光】 「まだだ。こいつらは無限に湧いてくるが、一撃で仕留められる。これはどう見ても罠だ。」源頼光は鬼切に背中を預け、再び霊符で刀を強化する。源頼光の目的を悟った鬼切は水面に向かって斬撃を放ち、隠れている夜荒魂を葬り去った。【源頼光】 「数にものを言わせて、我々の体力を消耗させるつもりだな。敵の中核を見つけなければ。」しかし、二人の目の前には、次々に夜荒魂が湧いてくる。殺せば殺すほど、夜荒魂が湧いてくる。無数の血色の瞳は海に影を落とし、世界を自分たちの巣窟に変えた。それを見た鬼切と源頼光は互いに顔を見合わせ、血色の瞳に満ちた巣窟に飛び込んだ。同じ頃、藤原道長と晴明は枷島で一番高い場所にやってきた。ここからは嵐越しに、全てが見渡せる。晴明が側に来ても、道長は振り返ることなく、ただ源氏の軍勢を眺めて感心している。【藤原道長】 「素晴らしいです。鋼の体を持つ源氏の鬼兵部も、あの伝説の刀も、源氏の当主が作ったものです。」【晴明】 「やはり彼はこの機を見逃さなかったか。」【小白】 「あれ、海に黒い煙が?しかも源氏の軍勢を襲っているようです!」【晴明】 「あれは……夜荒魂か?」群がる夜荒魂は、遠くからは黒い煙に見える。【晴明】 「源氏の部隊を襲っているのか?海で交戦しているな。」闇の中に凄まじい剣気が放たれた。夜荒魂に触れると、剣気は忽ち血色に染まる。それを見ても藤原道長は全く驚かず、他の話題を持ち出した。【藤原道長】 「晴明殿、『桜と刀の歌』をご存知ですか?」【晴明】 「あの宮廷画家であり、同時に詩人でもある小野氏の詩集か?」【藤原道長】 「詩集は辺境の地で敵と戦う源氏の勇士を謳っていて、生き生きとした絵も描かれています。勇ましい戦歌は詩人の空想であり、画家の思いつきにすぎないと、人々は思っています。しかし、実際に見た者には分かります。あれは誇張表現ではありません。それどころか、事実は詩歌よりも奇なりと言っていいでしょう。」『桜と刀の歌』 その詩集は武士の勇気への讃歌。標題紙にはとある英雄の信条が記されている。 詩集は旧き時代の伝説を記載している。あれは人が急速に変化した時代。人々は放浪生活に終わりを告げた。 人々は陰陽五行を利用して巨大な結界を作り、最初の城を建てた。あれは人が堕落していき、妖魔が跋扈した時代。 人々は闇の中でつらい日々を送り、誉れや希望を儚い未来に託した。あれは人が頭角を現した時代。武士たちは魔がひしめく戦場に赴き、己を刃と盾にして人々を守った。 無数の妖魔に立ち向かい、彼らは信念や勇気を刃に変え、決して振り向かなかった。 「戦場に血を流し、我が体は人を守る盾となる」 「同胞よ、我々に悲しみなき祈りを。いつか、舞い落ちる花びらと為りて故郷に還らんことを」 「全ては勝利と誉れ、そして人の未来のために」【鬼切】 「それが伝説の結末か?」【源頼光】 「いや。これを知る者は少ないが、武士たちの亡骸は故郷に戻った。遺体は丁重に葬られ、刃と鎧は溶かされて新生を得た。かつての信念と勇気は鋼の軍勢に生まれ変わり、再び戦場に向かった。」【鬼切】 「……鬼兵部か?」【源頼光】 「そうだ。そして今、新たな刃が誕生した。」【鬼切】 「源頼光。俺はしばらく源氏を離れる。修行に出るつもりだ。我が剣は、長い間停滞していた。今の俺には、新たな試練が必要だ。」【源頼光】 「お前は今、何のために刀を振るう?」【鬼切】 「自分の心に恥じないためだ。」【源頼光】 「かつてお前は源氏のために、そして復讐のために刀を振るっていた。自分の心に恥じないようにではなく、私のために刀を振るっていた。それに気づいたのなら、行くがいい。この新しい刀を持っていけ。これは普通の武器ではない。伝説の信念を宿す刃だ。鬼兵部を操ることもできる。刀に認められればの話だが。」……枷島の頂き 無数の夜荒魂が源氏の軍勢と交戦している。夜荒魂の包囲を突破した源氏の先行部隊が、枷島に迫っていく。逆巻く海に列をなす源氏の軍勢は、垂れ込む暗雲が如く厳かな雰囲気を漂わせている。【晴明】 「枷島を出る前に、世刻みの命は夜荒魂を彼の札に封印した。この異変は、彼が前々から仕掛けていた罠なのか?しかしこれを知っているのは、枷島を調査した私たちだけだ。」【小白】 「つまり、源氏はこれが藤原家による攻撃だと思っているのですか?」【晴明】 「今は一触即発の状態だ。世刻みの命は源氏と藤原家との間に争いを引き起こすつもりか?道長殿、「災いの嵐」の問題も未だに解決されていない。新たな争いを招くのは賢明な判断ではない。源氏の当主とは面識がある。私を交戦海域に連れて行ってくれないか?兵を撤退させるよう説得する。」【藤原道長】 「晴明殿、私も平和を願っています。争いを好むわけではありません。ですが、晴明殿を再び煩わせるわけにはいきません。」【晴明】 「待て、あれは……?」その時、枷島を覆う黒い嵐がついに空を引き裂き、全てを巻き込んだ。巨獣のようでもあり、漆黒の邪竜のようでもある災いの嵐は、雲の上から荒々しい姿を見せ、揺れる島を包囲する。 「災いの嵐」が空に出現した。【藤原家の兵士たち】 「皆の者、陣形を!」時を同じくして、藤原家の三百人の兵士たちは枷島の外側で法陣を発動した。【藤原家の兵士たち】 「始め!」数百の陰陽術が放つ光は、蔓のように島の中心に向かって伸びていき、竜の形の嵐に纏わりついた。【藤原道長】 「あれは「災いの嵐」の本体ですが、やつはまだ完全に降臨してはいません。完全に降臨する前に、倒さなければ。」藤原道長が持つ羽根は、聖なる白い琴に変わった。【晴明】 「天鳥琴か?」【小白】 「えっ?身内に不幸をもたらす琴ですか?」【藤原道長】 「晴明殿は音楽には詳しいですか?」【晴明】 「音楽?」【藤原道長】 「今は、琴を弾くことができるまたとない機会です。今見逃したら、あとから後悔しても遅いですよ。」【晴明】 「……なぜ私の手を?」【藤原道長】 「法陣はもう設置されました。私と合奏してください。嵐の力を利用して、災いの源を破壊するのです。」大地が揺れる。強風に吹かれながら、藤原道長は腰を下ろし、晴明に手を差し伸べる。風に髪をなびかせる彼は、まもなく訪れようとしている嵐にも動じなかった。二人の目の前には軍隊と亡霊が交戦する光景が広がり、後ろには破滅寸前に追い込まれた枷島がある。【藤原道長】 「私のそばに座って、目を閉じて精神を集中させ、旋律に合わせて陰陽分離の術を発動してください。」その言葉を聞いた晴明は道長のそばに座り、天鳥琴に触れながら精神を統一させる。【晴明】 「分かった、出来る限りやってみよう。」災いの竜の降臨に、海が揺れている。自身を縛る陰陽術を振りほどくために、竜があがき、津波を引き起こした。先行部隊の鬼兵部も、近海で陣を敷く藤原家の兵士たちも、わめき続ける夜荒魂たちも。全員竜の攻撃を受け、海に落とされそうになった。【源氏の陰陽師】 「嵐を避けろ!横から攻撃するんだ!」【藤原家の兵士たち】 「結界を守れ!陣形を乱すな!」竜が咆哮し、敵をことごとく薙ぎ倒す。今にも封印から解放されそうだ。危機一髪で、藤原道長が琴に触れた。【藤原道長】 「今です。」次の瞬間、嵐の音、風の音、津波の音、兵士と艦隊に命令を出す声が。一瞬にして、音という音、声という声が完全に消え、世界は静まり返った。災いの恐ろしい叫びも消えた。何もかも。静寂に包まれた。全てが一つになった。最初に小さな音がした。次に朝に囀る鳥の声が、闇の中で蠢く蛇の音が聞こえた。それから、海で命が息をする音、誕生する音、成長する音が聞こえる。それは鬼神の宴でぶつかり合う盃の音にも、神の庭だった廃墟に響く鎮魂歌にも似ている。万物は琴の音の中で死を迎え、そしてまた蘇る。【晴明】 「さっきの琴の音は……まるで手の届かない美しい夢のようだった。」晴明は息苦しさを感じる。なんともいえない感情が溢れてくる。不安、悲しみ、陶酔。同時にいくつもの異なる感情に襲われる。まるで自分自身が天鳥琴になったかのようだ。体が琴の一部になり、琴弦が弾かれるのを、誰かが琴に触れるのを感じる。すぐに息を止め、集中する。晴明だけではない。枷島の近海にいる藤原家の兵士たちも、源氏の軍隊も、そして夜荒魂も。みんな夢から目が覚めたばかりのような表情をしていた。【藤原陰陽師】 「これは……一体何が起きた?」【源氏の陰陽師】 「先行部隊、陣形を組み直せ!」この時、災いの嵐が化けた竜の動きが、琴の音によって一瞬止まった。龍が封印を破壊する寸前に、琴の音が災いの竜に纏わりついた。次の瞬間、道長が剣を振るう時のような力強さで再び琴を弾いた。【藤原道長】 「海はいくら広くても、荒れ狂う波がなければ、やがて淀んでしまいます。新しい波が訪れる時です。」今までとは打って変わり、人々を昂らせるような琴の音が響く。馬が走る音、嘶く音、兵士たちの叫びが絶え間なく聞こえる。藤原道長の指先から、雄大な音が紡がれる。それは災いの咆哮よりも恐ろしい、人々を震え上がらせる音でもある。【晴明】 「琴の音は衝撃波を放ち、空に形のない嵐を呼んでいるのか。」【藤原陰陽師】 「あれはなんだ……!?」瞬く間に、影の軍団が嵐の中から現れ、水面を駆けてくる。源氏の軍隊にも劣らない影の軍団は、音楽の命令に従い、時に勇ましい声を上げ、時に突撃する。【晴明】 「これは琴の音と陰陽術で作られた軍隊なのか?それとも音による幻覚なのか?」影の軍団は全てを席巻する勢いで弓のような陣形を組み、素早く災いの竜に向かっていく。それは矢の雨を放つような、白鳳が空に舞い上がるような光景だった。影の軍団が災いの竜と激突する。互いを引き裂き、喰らい合う。もがき続ける竜から剥がれ落ちた黒い鱗は、黒い旋風となって周囲に拡散していく。今にも枷島に届きそうだ。【晴明】 「私も協力しよう。」晴明が天鳥琴に防御の術をかける。琴の音は島の中心に設置された法陣を貫通し、枷島の外側に青い大型結界を作った。結界に弾かれた旋風は、枷島をかすめて遠くに消えた。【藤原道長】 「さすが晴明殿。」島の中心の法陣が発動するとともに、枷島の古の封印が蘇った。呪印で構成された数本の鎖が、雲の上にいる竜に絡みつく。災いの竜は急所を突かれ、忽ち拘束された。やがて、悪しき竜は枷島の一際大きい石柱に封印された。【藤原家の兵士たち】 「皆の者、直ちに封印を強化せよ!」【藤原陰陽師】 「災いを徹底的に封印するのだ!」藤原家の三百人の兵士たちは陣形を変え、陰陽術で鎖を補強していく。しかし、海から夜荒魂が枷島に雪崩れ込んできて、鎖に、呪印に噛みついた。【藤原陰陽師】 「当主様の命令を、命をかけて守り抜くのだ!」【晴明】 「夜荒魂をなんとかしなければ。」影の軍団は音とともに陣形を変え、枷島の上空から海岸沿いの夜荒魂に襲いかかる。一方、源氏の軍勢も隊形を整え、別の方向から夜荒魂を挟み打ちにする。【源頼光】 「鬼兵部、突撃!」この時、鬼兵部の上に立つ鬼切は、幾千万の夜荒魂を前にして目を閉じ、ただただ聴覚に集中していた。鬼切は赤い光を放っている。血の契りを利用して、音を聞き分けているのだ。 波の音、風の音、叫び声、命令を出す声…… 悲痛な叫び声…… 音は、闇に何が潜んでいるのか教えてくれる。【源頼光】 「こいつらは一撃で倒せるが、数が多すぎる。おそらく、数十体ほどの原型があるはずだ。残りは原型の影にすぎない。原型さえ見つければ、短時間で始末できる。」それを聞いて、鬼切が刀を鞘に収める。代わりに、彼は無形の刃を掴んでいるかのように、両手を前に伸ばす。指示を受けた鬼兵部は海で長い刃のような陣形を組み、夜荒魂と対峙した。すると、闇の中の夜荒魂もまた操られているかのように陣形を組み、源氏の軍隊に向き合った。黒幕に操られる駒、夜荒魂が鬼切に襲いかかる。【鬼切】 「囲碁のことは分からない。俺は駒でも棋士でもない。俺は刃であり、刀を振るう者だ。俺は自分のために刀を振るう。これが黒幕が仕掛けた罠、駒を動かすための碁盤であるならば。碁盤ごと斬るまで!」目を閉じていた鬼切は再び目を開け、無形の刃を掴んだまま、闇に向かって刀を振り降ろした。闇の中に隠れていた無数の亡霊は、忽ち消え去った。夜荒魂は闇に紛れているため、遠くからは、まるで源氏の軍勢と影の軍団が今にも衝突しそうになっているように見える。その瞬間、影の軍団は源氏の軍勢とすれ違い、後ろの夜荒魂に槍を突き刺した。【藤原道長】 「源氏の当主よ、鬼兵部の噂はかねがね伺っております。」源氏の先行部隊も同時に矛先を変え、反対側の夜荒魂を殲滅した。【源頼光】 「ふっ、藤原家の「退廃の音」も侮れないな。」一瞬にして、対峙しているように見えた軍隊は息ぴったりの連携を見せ、敵を叩きのめした。彼らは残りの夜荒魂を一体残らず退治した。亡霊は悲鳴を上げて、風の中に消えていった。夜荒魂を殲滅し、二つの軍団が何度か行き来した後、影の軍団は再び枷島に向かって進軍した。【藤原道長】 「再起の音。」今、影の軍団は一本の鋭い槍となり、枷島に囚われている竜に向かっていく。巨大な竜は尻尾を叩きつけ、恐ろしい攻撃を受け止めようとしたが、一瞬で真っ二つにされた。【「災いの嵐」】 「……………くっ……」引き裂かれた災いの竜は、最後の力を振り絞って尻尾を叩きつける。真っ二つにされた巨躯がぶつかり合い、傷口から無数の黒い灰をまき散らした。灰は吹き出した岩漿のように空高く舞い上がり、海に落ちて水しぶきを上げる。【藤原家の兵士たち】 「これが最後の攻撃だ!皆の者、たとえ今日命を落とすことになっても、この体が灰になっても、我々はこの地を守り抜くぞ。」災いの源は徹底的に打ち砕かれたが、空に舞い上がる灰のような残穢が大雨の如く降り注ぐ。【藤原家の兵士たち】 「汚染をこの海域で食い止めるんだ!」藤原家の兵士たちは危険を顧みずに陣形を組んでいる。【源頼光】 「鬼兵部、防御の陣だ、汚染を食い止めろ!」同じ頃、源氏の鬼兵部も外側で陣形を組み、枷島から押し寄せてくる汚染の波を受け止めていた。【小白】 「あれ、源頼光様は一体いつから人助けなんかするようになったんですか?」【晴明】 「源頼光は何度も平安京を守った。今回の危機を見過ごすはずがない。」【藤原道長】 「あとで礼を言わなければなりませんね。」【源頼光】 「礼は結構だ。病人などの弱者を助けることは、源氏の義務だ。」【藤原道長】 「なるほど、これが弱者の特権というものですか。」【小白】 「道長様、お気を確かに!」藤原家と源氏が力を合わせたことにより、災いがもたらした灰は全て枷島内部に封印された。枷島の外の海域は、災いの源が爆発した時に生じた衝撃波の影響を受けなかった。藤原家の兵士たちは海岸沿いで隊形を整え、負傷者の手当をしながら、船に乗って撤退する準備を進めている。【源頼光】 「鬼兵部、撤退だ。」命令を受けた鬼兵部は、陣形を整える。隊列を確認していた鬼切は、「災いの嵐」に侵食された鬼兵部を複数発見した。【鬼切】 「待て、この五機の鬼兵部は、まさか……?一千万勾玉が……消えた。」一方、枷島は終焉を迎えていた。災いが爆発した時の衝撃波を食らった島は激しく揺れ、崩壊寸前になっていた。かろうじて立っている晴明が、道長に目を向ける。【晴明】 「道長殿、災いの源は破壊された。枷島の礎は壊れた、いつ崩壊してもおかしくない。速やかに撤退を。しかし枷島の結界の中の灰の雨は、一体どうすれば……」【藤原道長】 「晴明殿がお持ちの花は、この落花灯の灯芯です。」いつの間にか、道長は籠夢花の形の灯を手に持っていた。【晴明】 「落花灯?」【藤原道長】 「これは知人の形見です。灯芯を元の位置に戻してください。」晴明は落花灯の灯芯を取り出し、大切に元の位置に戻した。灯に火がついた瞬間、上空の黒い雨は忽ち浄化されて白い光となった。枷島の鎖も次々にちぎれた。黒いくず鉄は、全て海に落ちていく。白い光が黒い空を明るく照らすと、空は鏡のように砕けた。砕けた欠片は聖なる籠夢花のように舞い落ち、流星よりも眩しい光を放った。花の雨は、海に落ちた汚染を全て吸収した。風が琴の音や歌声、雨の音を運んでくれる。【「紗理奈」】 「庭に舞い落ちる花 風のなすがまま 人よ 咲き誇る花に佇む こぼれ落ちた先は泥の中 雨が止み 待つことなかれ」【晴明】 「花は散った。」【小白】 「セイメイ様、小白は……なんだか悲しいです。」島、牢獄、鎖。 鮮血、花、死体。 枷島は壊れた心のように、深い海に沈んでいく。やがて、跡形もなく崩れ去った災いの源のように、完全に消えた。地獄は消えた。ここには死も殺戮も、恐怖もない。あるのは希望に満ちた「籠夢花の雨」だけだ。 ……藤原道綱の船 ずぶ濡れになった晴明と道長と小白は、甲板で体を拭いている。枷島が崩壊した時、まだ島の中心にいた三人は海に落ちてしまった。幸い、海岸沿いには藤原家の艦隊がいたため、すぐに船に乗ることができた。【小白】 「はっくしょん……!夏とはいえ、海はこんなに冷たいんですね。凍え死ぬかと思いました。枷島がなくなって、道長様が何の対策もしていなかったせいで海に落ちたんですよ。」【藤原道長】 「そういえば、道綱に私たちを迎えにくるよう言ったのですが。」【小白】 「それにしても危なかったですね……道長様はたくさん服を着込んでいるから、そのまま溺れてしまって。セイメイ様が命がけで道長様を助けに行って、船に連れてきてくれましたけど。」【藤原道長】 「海は苦手なんです。溺れた途端に意識を失ったので、何があったのかは覚えていません。」【小白】 「まさか道長様見た目が賢そうなだけで……道綱様も道綱様ですよ。折り鶴に乗れなかったことをまだ根に持っているんでしょうか?あれは源頼光様のせいなのに!」【緊那羅】 「道綱、わざとだったの?」【藤原道綱】 「私がそんなことをするように見えますか?」【緊那羅】 「あら、これは兄弟不仲の曲かしら?」【藤原道綱】 「頼むから、やめてください……」隣で髪を拭く晴明を一瞥して、道綱はなにか言いたげな顔で道長に向き直る。【藤原道長】 「構いません、彼も関係者です。」道綱が晴明に手紙を渡す。【藤原道綱】 「先日、緊那羅と一緒に良房の屋敷を調べていたら、落花灯とこの手紙を見つけました。手紙は開封されていましたが、出されたことはなかったようです。」【小白】 「以前から落花灯の形は籠夢花に似ていると思ってましたけど、紗理奈様が作ったものなのですか?まさか、この手紙も……」晴明は手紙を受け取り、内容を確認する。あの子の誕生は、あの人の企みです。 私は良房、そしてあの子が憎いです。 あの子は生まれてくるべきではありませんでした。 この手であの子を殺さなければ。 でも屍に囲まれたあの子は、私に向かって微笑んだのです。 その瞬間、憎しみから愛情が湧いてきました。たとえあの子が歪んだ願いから生まれたとしても、それはあの子の罪ではありません。 私は間もなく死ぬでしょう。でも、一つだけ未練があります。 私と良房は医者ですが、禍津神の力を求める彼は間違っています。 あれは「栄光」ではなく、「災禍」なのです。私は浄化の力を持つ落花灯を作り、禍津神の体内に浄化の種をまきました。 たとえあの子が禍津神と一つになる運命から逃れられなくても、あの子の魂が完全に消えることはありません。身勝手な私を、私の罪を許し、落花灯を持って行ってください。 禍津神が異変を引き起こし、罪のない人々に災禍をもたらす時、落花灯があれば罪を償えるかもしれません。 あの子の魂が救われんことを。 紗理奈 以前この手紙を読んだのは、藤原良房なのだろうか。晴明はそう考えずにはいられなかった。紗理奈が亡くなった後、良房は狂気に囚われ、枷島の管理者代理の職を免じられた。そのせいで落花灯は藤原綾子に届かなかった。紗理奈の最後の願いは、良房の心の奥底に隠された優しさを呼び起こしただろうか。それとも彼を狂気の深淵に突き落としただろうか?紗理奈は全てを耐えて、儚い希望を届けようとした。願いを込められた贈り物は、届けたい人には届かなかった。藤原綾子は未だに呪われている。藤原良房はついに狂ってしまった。これは皮肉な災禍だ。しかし、真相はもう闇の中に葬り去られた。これは、正真正銘の「災禍」だ。【藤原道綱】 「災禍は起きましたが、良房たちの禍津神の研究から、対策が見つかるかもしれません。」【晴明】 「紗理奈が作った落花灯には、他の使い道もあるかもしれないな。」【藤原陰陽師】 「道長様、お邪魔して申し訳ありませんが、源頼光様からの手紙です。手紙には以下の内容が……「軍事規約により、源氏は枷島の守備につき、周辺海域の管轄権を取得するものとする」「また、今回の援助のための軍事費、一千万勾玉を請求する」」【小白】 「一千万勾玉!?ぼったくりじゃないですか!」【晴明】 「道長殿、これは……」【藤原道長】 「心配ありません。藤原家にしてみれば、大した金額ではありませんよ。しかし、空っぽになった海を管轄すると言うのでしょうか?源氏の当主は物好きですね。」【源氏の陰陽師】 「源頼光様、藤原道長様からの返信です。あの方が仰るには……「源氏と同盟を結び、鬼兵部の力を借りて海域の平和を守れること、藤原家は嬉しく存じます」「貴賓を歓迎するに当たり、二千万勾玉相当の藤原家手形を進呈させていただきます」」【源頼光】 「藤原家手形だと?」【源氏の陰陽師】 「この手形は、猫川別館などの藤原の商業施設でご利用いただけます」【源頼光】 「……今後は、現金払いと明記しろ。とにかく、まずはあの海域の調査だ。」【源氏の陰陽師】 「それと、頼光様、鬼切様が……」【源頼光】 「放っとけ。存亡を決める戦いが訪れる時、彼は帰ってくる。」【源氏の陰陽師】 「畏まりました。」【源頼光】 「だがその前に、この世界は新たな時代を迎える。」【源氏の陰陽師】 「といいますと?」人が鬼神を超える時代。源氏が変革をもたらす時代。彼の時代だ。【源頼光】 「時が来た、行くぞ。」……藤原家の船【藤原道長】 「そういえば、晴明殿は島の中心で事件の顛末を再現した幻境に入られましたね。私もこの件を調べているのですが、ほんの一部しか把握できていません。」【晴明】 「世刻みの命は藤原綾子を助けたが、他に犠牲者が出たのも事実だ。それに禍津神がどれほどの影響をもたらしたのかは分からない。過去に罪を犯した者であっても、憎しみの連鎖は断ち切るべきだ。私は引き続き世刻みの命と禍津神を調査する。道長殿にも協力してほしい。」【藤原道長】 「喜んで。」【晴明】 「やはり気になるんだ。良房の禍津神の研究、そして全ての要である「美しい魔女」のことが。」【藤原道長】 「枷島事件の関係者は、脱獄する際に世刻みの命に殺された者を除き、全員確保しました。良房が残した禁術の資料の在り処が特定できたので、今部下たちが「美しい魔女」の情報を集めています。しかし、忌々しい禁術が災禍を引き起こしたのは、何も藤原家に限ったことではありません。晴明殿が以前訪れた、ある場所も同じです。詳しいことをお知りになりたければ、私の屋敷に来てください。もしかしたら、もう一回合奏できるやもしれません。」……夜、晴明はようやく庭院に戻ってきた。【晴明】 「枷島の真相を見届けたというのに、謎は深まるばかりだ。良房の研究についてだが、良房と彼の妻女を破滅に導いた「美しい魔女」とは、一体何者だ?前当主藤原隆一が病死したことに、藤原道長は関与しているのか?島の中心で災いに冒された時に出会った人は、一体何者だ?そして世刻みの命は、一体何をしようとしている……?彼の運命に刻まれているのは、どんな罪なのか。」 |
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